ナチュラルシステムのはじめに
訳者のはじめに
"Natural Systems for Wastewater Treatment,
Manual of Practice FD-16"は米国水質汚濁防止連盟(the
Water Pollution Control Federation, the Water
Environment Federationの前身)のTechnical
Practice Committeeが Natural Systemsのチームを構成して作成したものである.
下水道技術者向けの専門書であり,これは下水処理のためのナチュラルシステムについてすべての処理法が取り上げられている.個々に処理技術の断片的な情報はあるが,これを読めばすべてがわかるという本は見当たらない.この本を通読すれば各々の処理法について理解できるとともにナチュラルシステム全体についても把握することができるであろう.
下水処理の一方法としての「ナチュラルシステム」は,文字どおり,自然の湖沼や湿地などに見られる自然の浄化のしくみをそのまま取り入れ,処理施設として人為的に運転管理している処理法の総称である.従来の活性汚泥法に代表される下水処理技術とは大きく相違する.従来法は少ない面積で高密度の微生物を培養し,機械多用,エネルギー多消費型の技術である.ナチュラルシステムは逆に大きな土地を利用することで自然の浄化力を最大限に活用する方法である.処理に関与する微生物密度は低いが,動植物の働きも含めた生態系全体が機能し,自然のエネルギーを利用するので人工的にエネルギーを投入する必要はない.
本来,下水処理は住民の日常活動から発生した,有機物を主成分とする下水を対象としており,自然界に多量に存在するバクテリア等によって分解され,安定化するので「ナチュラルシステム」である.近代下水処理技術が取り入れられる以前は,「ナチュラルシステム」の概念に含まれるラグーン(大きな沼池)やイリゲーション(かんがい)で処理することが世界各地で行われた.
人口の著しい増加と集中と共に下水量も著しく増加し,ナチュラルシステムでは対応できなくなり,19世紀の中ごろ,英国などで近代下水処理技術が開発された.散水ろ床法や活性汚泥法などといわれるものであり,これらの下水処理技術も基本的には,自然の浄化に寄与している微生物の働きを活用したものであるが,生物密度を高め大量のエネルギーを投入して効率的に処理するところが大きく異なる点である.近代下水処理技術が効果をあげるとともに,大中都市ではこれらの方法が主流となった.
米国で改めて「ナチュラルシステム」が注目されるようになったのは,1972年の水質保全法(Clean
Water Act)の改正がきっかけである.この法律で汚濁のゼロ排出(ゼロディスチャージ)の考え方が導入され,これに適する技術として「ナチュラルシステム」が取り上げられた.従来法では下水中の汚濁物をゼロにするためにエネルギーや費用を著しく必要とする.
日本では,湖沼の富栄養化の防止のため栄養塩(N,P)の除去が問題になってからである.従来法の改良型の脱窒・脱りん技術が進歩し,各地で稼動するようになったが,この方法で7,
8割の栄養塩を除去できるが,エネルギーが多量に必要で著しい費用がかかること,それ以上に除去率をあげることが困難であることなどの理由から,「ナチュラルシステム」が注目されるようになった.
環境保全のために下水処理場を整備して下水を二次処理しても湖の水質が期待したほど浄化,改善されず,藻類の異常発生があいかわらず起こる.これを防ぐには,現在行われている下水道整備に加えて,さらに栄養塩を除去する高度な処理施設の整備と多額の維持管理費用が必要となる.琵琶湖では,すでに栄養塩を取り除くために大きな施設が巨費を投じて建設され運転が開始している.そしてこれを補完するため,ヨシなどの水草を復活させてさらに浄化しようという試みも同時になされている.
また,琵琶湖のように上水道源となっているようなところでは,このような巨費を投じた投資も可能であるが,多くの直接的な水利用が行われていない自然の水域では,施設の整備と運転は経済的な面からも困難である.必然的に,自然の生態系の浄化能力に目が向けられることになる.
その他に,つぎのような技術としてとらえることもできる.
・ 二次処理下水を河川維持用水として再生する技術
二次処理した下水を河川や水路の維持用水として利用する場合,さらに高度にBODやSSを除去することが求められる.現在は物理化学的処理(砂ろ過法など)が採用されている.
・ 低濃度有機性排水の浄水処理技術
二次処理下水を生活用水あるいは飲料水まで浄化する.比較的汚れた有機性排水の処理を行う下水道技術とあまり汚れていない無機性濁水の処理を行う上水道技術の中間の技術である.
・ 農業系排水の処理技術
酪農等農業系の負荷に関して従来型の処理法を使えばそのコストが農業製品の価格に転嫁され,結果としてさらに農業製品の国際競争力が失われることになる.「ナチュラルシステム」という技術は,今後の日本の農業のありかたと,環境保全のあり方を両立させていく上でも極めて有望な処理技術である可能性が高い.
ところで,訳者が住む金沢市に接して県内一の規模を有する河北潟がある.近年,この汚濁の進行が大きな問題となっている.干拓前の河北潟は2,300haの広大な面積を有し,水質の清浄なことで大清湖といわれた.干拓後,水面積は410ha程度と減少し,その上,排水が無処理のまま流入していたので特に夏は下水処理池といえるような状態まで悪化していた.
下水道整備が進行し改善が期待できるものの栄養塩の蓄積による富栄養化の問題は残る.このような河北潟の状況に関心のあった沢野,高橋,永坂らは,各専門分野からの調査を進めていた.一方,中は途上国の下水道技術援助の仕事に携わっていたが,下水道技術援助に際しては,日本で主流の省面積・機械多用・エネルギー多消費型技術を適用できない場合が多く,「ナチュラルシステム」の範疇の技術を理解することが必須であった.そこで,ナチュラルシステムの翻訳を中が沢野,高橋,永坂に持ちかけ,4者で翻訳することにした.
沢野の専門は環境情報学,高橋は動物学,永坂は植物学,中は下水処理である.ナチュラルシステムの理解に不可欠な専門家が集まったのが幸運であった.また,沢野は英語教師をしていた経験もあり,沢野を中心に翻訳することにした.沢野は第1,2章,高橋は第3章,永坂は第6,9章,中は第4,5,7,8章を担当した.
1994年9月に翻訳を始めた.週1回,3〜4時間の会合を60回以上続けた.その間,仕事のため中断したり,米国への視察なども行ったため3年近い時間が経過してしまった.
本書の翻訳にあたり,心がけたことは専門外のものが読んでもわかりやすいように平易な訳になるように心がけた.また,ナチュラルシステムに関する訳語が公式に統一されていないこともあり,関連の訳書を参考にした上で最も適切と判断できるような訳語に統一した.これについては,「ナチュラルシステムの分類」として次頁に記述した.
本書作成に当たり,米国WEFからこころよく本書の翻訳許可をいただいたことに感謝したい.
平成9年6月30日
中 登史紀