金沢の治水を考えるキーワード21
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目次 1.金沢市の治水を考えるために 2.東海豪雨から学ぶ 3.総合治水とは 4.治水と治山はセット 5.総合治水事業の金沢版を! (金沢市内の浸水被害は内水はんらん) 6.百年豪雨とは 8.データを流用するから過大な洪水量になる! 9.「降雨は山間部のほうが多い」は正しいか? 10.石川県内のもう一つの洪水調節ダム (北河内ダム) 2000年平成12)年11月 |
1.金沢市の治水を考えるために
辰巳ダム
金沢市の中央を流れる二筋の川がある。犀川と浅野川である。市民の生命と財産を守るために洪水調節が必要であるという理由で、石川県は犀川で「辰巳ダム」プロジェクトを進めている。これに呼応するかのように、金沢市の担当者は、下流の高畠地区の浸水被害が起きるたびに、抜本的な対策は「辰巳ダム」の建設であると説明する。
これに対して筆者は、石川県作成『辰巳ダム計画説明書』では辰巳ダムの有用性を説明していないばかりか、ダムが無くとも100年確率の降雨に対して安全であるとしか記述されていないことを指摘した。さらに、県の主張する降雨が実際に発生すれば、辰巳ダムがあろうとなかろうと、金沢市全域にわたり大水害が発生することも指摘した。
ちなみに、指摘事項の詳細は、中技術士事務所ゆとり叢書No.1『辰己ダムの土木技術的問題点』1995.7,
No.5『転換期の私的・土木技術論考−辰巳用水と辰巳ダムから明日の土木を考える−』1998.3, No.8『「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」(平成11年8月■■大学工学部工学博士■■■■)についての意見と反論および問題提起』1999.11などの冊子を参照していただければわかる。
総合治水事業の金沢版
高畠地区などの低地の浸水被害は内水の氾濫であり、外水をコントロールする「辰巳ダム」とは直接的な関係が無いことも明らかにした。内水と外水の区別がつけば、簡単にわかることである。それにもかかわらず、金沢市の担当者らは、高畠地区などの住民らに対して、その場しのぎの頓珍漢な答え(辰巳ダムの建設で浸水が無くなる!)を続けている。うそをつくから、うその上塗りをしなければならなくなり、その結果、住民もとんでもない誤解をしてしまう。ある高畠地区に住む「辰巳ダム建設期成同盟会(会長:金沢市長山出 保)」幹部が「辰巳ダムを造ると、高畠に降った雨をトンネルで辰巳ダムまで運ぶことができる」というような馬鹿げた賛成論を述べることになるのである。根本的に浸水被害を軽減するための施策を推進するための「総合治水事業の金沢版」を作るべきである。
ちなみに、指摘事項の詳細は、中技術士事務所ゆとり叢書No.1『辰己ダムの土木技術的問題点』1995.7を参照していただければわかる。
降雨は山間部の方が多い
これらの議論の中で筆者が最も重視している点は、データ取り扱いの杜撰さである。「データの流用」によって洪水量が過大に見積もられている。県の計画に理解を示す岐阜大学藤田工学博士は、この点について「データの流用にあたらない」とし、さらに「平地のデータを雨の多い山間部に用いるのだから、山の計画降雨が小さいくらいである」という主旨の「所見」を作成している。その一部を紹介する。
「一般に、降雨は山間部の方が多く、平地の金沢市のデータを流域全体に適用すれば、降雨を過小に見積もる恐れの方がはるかに高い。これは、東西に延びる線上に水蒸気の収斂線が形成され、それに沿って発生した雲が東に向かって流れて山地にぶつかって上昇したところで降雨がもっとも激しくなるからである。」(出典:『犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見』平成11年8月)
実用技術の基本はデータを根拠に説明することであり、先入観や憶測で論理を展開するべきではないことは言うまでもないことである。実際のデータと藤田工学博士の推測(先入観?)と一致するかどうか金沢地方気象台のデータで調べてみた。
「降雨は山間部の方が多い」は正しいか?
石川県内のもう一つの洪水調節ダム(北河内ダム)
辰巳ダムと同様に、治水の手段としてダムが建設されることは多いが、有用性に疑問符がつくことも多い。現在、石川県内では、治水ダムとして、辰巳ダムのほかに、九谷ダム、北河内ダムが建設中である。北河内ダムを取り上げて、簡単な診断してみることにする。
東海豪雨から学ぶ
たまたま、今年9月に「東海豪雨」が発生し、名古屋市を中心に大きな被害が発生した。これらの知見も加えて小冊子をまとめることにした。災害は不幸なことではあるが、技術者の目から見ると、大規模な実物実験と言えないことも無い。大規模な地震が起きるたびに、新たな知見が得られ、より安全な構造物とするために、土木あるいは建築構造の基準などが見直される。豪雨被害についても同様のことが考えられよう。愛知県名古屋市を中心に襲った平成12年9月の「東海豪雨」についていくつかの情報をもとに、まず、どのような知見が得られたか検討してみる。
筆者は内水に関する知識はあるが、いわゆる治水工学の専門家ではなく、自己流の解釈や不正確な面が多々あると思われることをあらかじめ断っておきたい。
2.東海豪雨から学ぶ
日本付近に停滞していた前線に向かって、台風14号の影響で南から暖かく湿った空気が流れ込んで大気の状態が不安定になって豪雨が発生した。平成12年9月11日から12日。日最大1時間降水量97mm、日降水量428mm、最大24時間降水量534mmである。平成10年8月26日から31日にかけて発生した栃木県の那須町の豪雨も降雨メカニズムは類似している。雨量は、27日の日降水量607mm、1時間最大90mmである。
太平洋岸で発生しやすい気象メカニズムと推測される。「金沢」は、南の方が陸地続きであるため、先のケースのメカニズムによる降雨は発生しにくい。豪雨は積乱雲の集合体で1時間くらいの周期で発生/消滅を繰り返しているが、水分と熱エネルギーの供給源がないと続かない。金沢気象台や医王山の観測データを見る限りでは、時間70mmを超える雨が2時間継続した例は無い。
東海豪雨の被害の状況はつぎのとおりである。
被害の比較表
水害名 | 人的被害 | 建物被害 | ||
死者・行方不明 | 負傷 | 住家損壊 | 建物浸水 | |
伊勢湾台風 | 5,098 | 38,921 | 833,965 | 363,611 |
東海豪雨 | 11 | 43 | 188 | 40,859 |
出典:「大雨に備えて」平成11年3月、気象庁、および「平成12年9月14日現在の警察庁の取りまとめによる速報」
東海豪雨は、伊勢湾以来の記録的豪雨であり、庄内川水系の新川堤防が約100mにわたり決壊したにもかかわらず、死者行方不明者は11人と人的被害が少なく、家の倒壊などの被害も少ない。他方、床上床下の浸水被害が4万戸と比較的多かった。広い範囲で浸水が発生したが、1日程度で水位が徐々に低下し、排水された。ちなみに、
庄内川:国管理、流路延長96km、流域面積1,010km2
新川:庄内川水系、県管理、流域面積260km2 である。
『河川六法』によると、名古屋市内の湾に面した低地を流れる「新川」は昭和55年からスタートした「総合治水対策河川」(10河川)の一つであることがわかる。「新川」の治水は、川の断面拡張/堤防の嵩上げなどの「河道対策」だけでは不十分なためである。河道対策や内水排除のほか、保水/遊水機能を持たせるなどの「氾濫を許容する対策」をとっていることが特徴的である。平坦で高低差が少なく、川の排水能力に限界があることから、「総合治水」という方法がいち早く適用されたものである。
今回の「新川」の堤防の決壊があったにも係わらず、主として浸水被害であることに着目すれば、総合治水の思想に準じた、浸水に備えた家屋形式の採用や避難をすれば、比較的小さな被害に留まることを暗示していると言えば、早計だろうか? いずれにしても、沖積平野の河口付近では、従来の河道対策のみの治水方法では、洪水被害をこれ以上軽減することは難しいだろう。「浸水を許容した総合治水」手法を普及する以外ないのではないか。
もう一つの注目点は計画降雨の規模である。朝日新聞2000年9月13日は「百年豪雨」と報道した。金沢市内を流れる「犀川」でも計画の前提は、100年確率の降雨である。従来の治水は、河道の施設整備が主で、河川の「物理的要因」と「社会的要因」から、個別に計画降雨の規模を決めてきた。「物理的要因」は、大量の水、土砂、流木等の流出であり、家屋の倒壊、死者などの人的損害を引き起こす。「社会的要因」は、氾濫によって影響を受ける地域の住民生活や経済活動である。したがって、河川の規模や流域への影響の度合いによって対象降雨のレベルを変えることは合理的であろう。
ところが、今回の豪雨災害では、対象ごとに対象降雨レベルを変えてきた手法が破綻している。今回の豪雨では、「庄内川」につながっている「新川」の堤防が決壊した。庄内川は上流部で100年確率、下流部で200年確率の降雨に対して安全になるように整備が進められていたというが、新川の方は「5年に一度の洪水にも耐えられない」ということで氾濫した。頭隠して尻隠さずとはこのことである。敷衍して考えれば、すべての河川、水路はつながっているということであり(水門などで遮断されていたとしても雨水はポンプなどで排水せざるを得ないのでつながっていることと同じである)、同じ条件、計画降雨の規模を同じにしなければ氾濫を防ぐことはできない。この観点からは、降雨のレベルを変えて計画を行う合理性はない。どこが氾濫しても名古屋市内、西枇杷島町の低地の市街地が広範囲に浸水被害を受けるのである。つまり、河川と水路の安全度を同じレベルで捉える必要があるということである。(ただし、すべての洪水を河川や水路内で処理することを意味しているのではない!)。
新聞報道の内容から、「百年豪雨」の根拠は不明であったが、滅多に無い降雨を感情的にわかりやすく、表現するために用いたのだろうか? あるいは、約100年間の記録で初めてだからということであろう。名古屋地方気象台は、1891年1月から統計を開始しているので、正確には110年に1回の大雨である。ただし、統計学的には110年確率の降雨ということはできない。今回の雨を含めた降雨データは、降雨全体を表しているわけではないので、100%の信頼度で110年確率の降雨ということにはならない。ある誤差の範囲での110年に1回の大雨ということになる。
3.総合治水とは
総合治水
河川の治水事業を進めても水害が減らない。これは都市域において土地利用の変化に伴う洪水流出量の増大に治水整備が追いつかないことが原因の一つである。治水関係部局の守備範囲を超えた、流域の開発や土地利用との調整を図る総合的な治水対策をとる必要性がある。このため、国では、「総合治水対策」(添付資料1)を昭和54年からスタートした。
総合治水対策の特徴
−浸水予想区域の設定、緊急時の水防/避難等の便に資するため浸水実績の公表
−保水地域、遊水地域、低地地域の設定
−流域内の保水/遊水機能の維持/確保、公共用地内での貯留
−適正な土地利用の誘導
−流域住民の理解と協力、各戸貯留、高床式建築等の奨励、実態に応じた盛土の制限
−都市開発部局を含めた「流域総合治水対策協議会」の設置。
総合治水の特徴を簡潔に表現すると
・線的な整備から面的な整備
・ハード対策とソフト対策を組み合わせた対策
である。巻末に、「総合治水対策の推進について(建設省通達昭和55年5月15日)」および別紙「総合治水対策とその方針」を添付する。
総合治水を理解する一助として、治水についても考えておこう。
(資料省略)
4.治水と治山はセット
中国古代、黄河流域の住民は氾濫に悩まされ続けたので、為政者の最大の仕事の一つが治水事業となり、「水を治めるものは国を治める」といわれた。これは、日本でも同様である。武田信玄の甲州流川除の技術を駆使した釜無川/御勅使川の河川および堤防工事、秀吉の太閤堤、加藤清正の治水などが有名である。
なぜ、水を治める必要があったのか? 氾濫しやすい川であれば、川から離れたところに居住すれば被害にあうことはない。生活に必要な水はわずかであり、涌き水からでも手に入れることができる。なぜ、川に近づかなければならなかったのか。最大の理由は、かんがい農業である。アジアモンスーン地帯の高温、多湿、多雨気候に適した食料が稲であり、稲作が人々の主食となり、為政者の主たる収入源、財政基盤となったからである。
稲も当初は、山間部の川のそばの谷地で作られた。高低差があるので川水が引きやすく、出水の時も被害にあいにくいからである。能登の千枚田のような棚田や、段々畑といわれるところでも、現代人が考えるほど、大変なことではなかったであろう。水が引きやすく、出水に対しても安全であったので、長期間、維持しやすい田圃というわけである。
ところが、治水技術の向上とともに、大きな川の沖積平野の低地で農耕地が開発されるようになった。大量の水を利用し、広い面積を開発するようになったので、収穫は著しく増加した。これと比例して、川が氾濫すると被害も著しく大きくなった。したがって、氾濫は人々の生活を脅かすばかりでなく、社会全体に及ぶようになり、治水が為政者の最大の仕事の一つになったわけである。
稲作に結びついた「治水」であるが、もう一つ忘れてはならない特徴は、「治山」と結びついていることである。治山によって出水の程度を和らげる意味もあるが、耕作時、つまり、稲作のためには夏期の川の水量を確保することが必要であり、治山によって山の保水力を高め渇水にならないようにする必要があったわけである。したがって、日本では「治水」と「治山」はセットである。明治以後、西洋の近代技術が導入されて、「治水」が行われてきたが、「治山」と「治水」がセットであったことは変わらない。戦後も、治山治水事業としてセットで行われた(治山治水緊急措置法など)。
行政上は、「治山」は農林省、「治水」は建設省の分担で行われている。犀川上流では農林部局が「治山」目的で犀鶴林道(さいかくりんどう)などを造っている。一方、建設部局は出水を抑えるために辰巳ダムを造ろうとしている。林道はほとんど使用されないばかりか、年間を通じて半分は雪のため閉鎖され、雪解けとともにあちこちで斜面が崩壊する厄介ものになっている。山を崩していながら、河川部局は出水が増えたことを理由にダム事業を進めるという悪循環に陥っている。縦割り行政の弊害である。「治山治水」をトータルで考えるためのしくみが機能不全に陥っているので、第三者としての市民の監視が必要となっている状況にある。
5.総合治水事業の金沢版を!(金沢市内の浸水被害は内水はんらん)
県や市は、莫大な費用を投資して金沢市の治水事業を進めてきた。しかし、台風や豪雨がある度に水害が繰り返される。これには構造的な問題があり、今までのやり方では解決できないのではないか。高畠や安原川の周辺は相対的に低地だから、浸水被害に遭いやすいことは容易に想像できる。ところが高いところでも起こる。
(事例1)額小学校と額西神社の間の2−3尺の水路の氾濫。従来は起きなかった氾濫が起きるようになった。
(事例2)浸水被害にあわないように盛土した木越団地内の排水路の氾濫。
いずれも、従来は周辺の田畑、池や湖に雨水が流れ込んで遊水池として機能していたものが、開発が進んだために大半の雨水が水路に閉じこめられるようになったために生じた問題である。このような現象は市内全域でみられる。市内の面的な開発を放置した結果である。
従来の「治水」の手法は、いわば「線的な整備」である。
河川:国や県、市は河川を重要度や経済効果を勘案してランク分けをして整備(100年確率、50年確率などの降雨に対応した河川整備)
市内の排水路:市の河川課が5−10年確率降雨対応の排水路等を整備
これらのやり方の欠点は、面的な部分をコントロールしていないので、開発や農地の宅地化/駐車場化が進められるままに放置される。急速な開発につれて排水が急増する。排水量に排水路整備が追いつかず、治水が後追いになりがちである。
高畠地区などで繰り返される浸水被害に住民は怒る。低地に住めば、大雨があった場合、洪水被害に遭うのは当たり前のことであり、誰でもわかることである。なぜ、住民は怒るのか? それは、住民が洪水被害にあわないと誤解していたからである。その誤解の原因の一つは、治水行政が住民に対して正確な情報を提供していなかったからである。高畠地区では、浸水に関する情報提供をしていない上に、市街化区域の線引きもされている。つまり、行政がここは市街地として整備しますという意志表示をしているのだ。住民が安全だと誤解するのは当然である。さらに、現在、高畠の浸水被害を軽減するためにポンプ場を造っているが、これは5年確率の降雨に対応するものである。したがって、10年確率の雨が降れば氾濫する。また、電動式のため、停電するような災害であればポンプ場は機能しない。氾濫した場合のリスクを住民が負担せざるをえないことを金沢市はきちんと説明しているのか? そして、住民はそのための備えをしようとしているのか?
突然、正確な情報を提供すると、「土地価格が下がる」などという反発が大きいので、行政は現在までの怠慢を他の原因へ転嫁しようとしがちである。辰巳ダムに転嫁するなどは、「逃げの行政」の典型である。このような対応をとっていると、ますます、嘘の上塗りを続けざるを得なくなる。
国も20年前から、「氾濫を許容する治水方法」である「総合治水」事業を推進している。県も市も「総合治水事業の金沢版」を作るべきである! それには、面的な土地利用の制限など住民の協力が不可欠である。公的な負担と私的な負担の総計が小さくなるように、公的な負担で行う部分と私的な部分で行うところを明確にする必要もある。かつ、治水行政の責任者は、仕事の怠慢を責任の転嫁で誤魔化さないように覚悟を決めるべきである。
6.百年豪雨とは
百年豪雨とは「100年に一回の洪水」であり、統計的には100年確率の雨という。100個の降雨データがあって、そのうちの1個が発生する確率は、1/100であり、データが毎年の最大値であれば、100個のデータのうちで最も大きい値が100年確率の雨ということになる。しかし、このデータ100個が全体(全数)を表すわけではない。100個のデータは全体(全数)の一部のデータ(標本)である。これらのデータから、神様しかわからない「全体」の頻度分布を表す近似曲線を求める。1/100、つまり99%はこれを超えない降雨を求めてこれを「100年確率の降雨」(添付資料2)とする。(データが増えると近似曲線は変わる。)
石川県の資料では、(『ダム計画説明書』)
2日雨量 280mm(犀川大橋地点)
2時間雨量 164mm(昭和27年6月30日(36mm+30mm)の雨を2.5倍に「引き伸ばし」(添付資料3)90+74=164mm)
1時間雨量 92mm
である。
東海豪雨では、
2日雨量(名古屋;9月11,12日)567mm
2時間雨量 141mm(9月11日18時から20時の2時間に 93+48=141mm)
1時間雨量 97mmである。
付け加えると、100年確率の雨が1回発生する確率は、
今後100年間に63%、
50年間に 40%、
10年間に 10%。
となる。「表−今後のN年間に各超過確率降雨が発生する確率」を添付する(表1)。
表1 今後のN年間に各超過確率降雨が発生する確率
超過確率 単位:% | ||||||
N年間 | 10年確率 | 50年確率 | 70年確率 | 100年確率 | 150年確率 | 200確率 |
10 | 65.1 | 18.3 | 13.4 | 9.6 | 6.5 | 4.9 |
50 | 99.5 | 63.6 | 51.3 | 39.5 | 28.4 | 22.2 |
70 | 99.9 | 75.7 | 63.5 | 50.5 | 37.4 | 29.6 |
100 | 100 | 86.7 | 76.3 | 63.4 | 48.8 | 39.4 |
133 | 100 | 93.2 | 85.2 | 73.7 | 58.9 | 48.7 |
145 | 100 | 94.7 | 87.6 | 76.7 | 62.1 | 51.7 |
150 | 100 | 95.2 | 88.4 | 77.9 | 63.3 | 52.9 |
計算式: (1−(1-1/確率年)^N)*100 2000年作成
今年は明治133年目にあたる
東岩の取水口が築造されてから145年目にあたる
石川県が降雨パターンの対象として選択している雨は2日雨量140mmであるが、これは何年確率か。『ダム計画説明書』では、犀川大橋基準点で、
2日雨量280mm/2日(100年確率)
2日雨量140mm/2日(2年確率)
である。度々、発生する可能性のある雨である。データはあるはずであるから、これらから、10ケースを選択し、カバー率(添付資料4)60−80%で雨を選択して検討すればよい。(発生確率の少ない最大の雨までカバーする必要はなく、指針(案)のとおりに計画すればよい。)
また、地域特性によって異なるが、1時間50mmの雨というと、日本では、5−10年に1回程度のの雨である。金沢では、10年に1回程度の雨である。
石川県の資料では、(『ダム計画説明書』のP.45)
5年確率 → 時間49mm、10年確率 → 時間59mm
になっている。
過去十年間(1990-1999年)の記録では、1時間50mm以上は1回、去年(1999年)9月21日(台風7号)に、1時間53.0mmを記録している。
8.データを流用するから過大な洪水量になる!
(省略)
9.「降雨は山間部の方が多い」は正しいか?
はじめに
やっと御輿をあげて、石川県は今年度から最近のデータを整理することにした。現在、昭和53年(1978)からの犀川ダム地点のデータを整理中である。山本ダム建設室長の話によると、平成12年度中にまとめ、公表するとすれば、来年度になるだろうとのことである。
現計画に際しては、大正5年(1916年)から昭和52年(1977年)までの62年間のデータが用いられているが、犀川上流のデータは不十分である。大半は金沢市内のデータである。33年前(昭和52年(1977年))までのデータでなされている。「山は雨が多いから平地のデータを採用すれば小さいことはあっても大き過ぎることは無い」という議論が展開されているが、山の雨が多ければ不十分だからデータを集める必要があり、小さければ過大である。いずれにしても、調べる必要があったわけである。
河川工学者である岐阜大学の藤田教授は、『犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見』文書の中で、「一般に、降雨は山間部の方が多く、平地の金沢市のデータを流域全体に適用すれば、降雨を過小に見積もる虞れの方がはるかに高い。・・・・」と述べながら、その論理を展開された。
これに対してこれまで辰巳ダムに関わるデータを詳細に検討してきた筆者は疑問を呈した。現在までのデータではそのように断言できないと。拙著『「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」についての意見と反論および問題提起』で、この論理が正しくないことを説明した。「年間の降雨量が多いという意味ではそのとおりかもしれない。しかし、時間最大雨量についてはそうではない。石川県の作成した『辰巳ダム計画説明書』で選択された6パターンの降雨記録では、金沢地点で30mm/hrを超えている7データ中、同時に犀川ダム地点でこれを超えているデータは1つしかない。」
過去10年間の記録
山へ登ると夏でも霧が発生しやすいし、雨が多いことは経験的にもわかる。同じように、洪水を発生させる可能性のある降雨に対しても同じようなことが言えるのだろうか? 土木技術は自然現象をいかに的確に把握するかというところからスタートする。データによらないで、先入観で判断するべき問題ではない。既存のデータを収集して検討することにした。
金沢地方気象台では山間地の降雨を測定するために医王山に気象観測所を設置している。平地を代表する金沢地方気象台(西念町)と医王山の過去10年間の降雨データを集めた。
「表2」は、最近10年間の医王山と金沢地方気象台の降水量(半年雨量)の比較である。10年のうち、平地(金沢地方気象台)の雨量が山地(医王山)の雨量を上回っているのは、たったの一年である。明らかに「山地の方が雨が多い」ということが言えるだろう。10年間の総計で、山地の方が約2割程度多い。(年間雨量の比較ではなく半年雨量の比較をしたのは、医王山気象観測所では5月から10月までの半年間だけ観測しているからである。)
表2 医王山と金沢地方気象台(西念町)の降水量の比較
過去10年間の半年間(May-October)の降水量の比較
年 | 医王山 | 金沢気象台 | 差 |
(山地) | (平地) | 山地−平地 | |
1990/May-Oct. | 1,326 | 1,047 | 279 |
1991/May-Oct. | 1,520 | 1,233 | 287 |
1992/May-Oct. | 870 | 604 | 266 |
1993/May-Oct. | 1,750 | 1,503 | 247 |
1994/May-Oct. | 740 | 645 | 95 |
1995/May-Oct. | 1,397 | 1,165 | 232 |
1996/May-Oct. | 1,080 | 799 | 281 |
1997/May-Oct. | 1,548 | 1,367 | 181 |
1998/May-Oct. | 1,975 | 1,516 | 459 |
1999/May-Oct. | 1,169 | 1,218 | -49 |
Total | 13,375 | 11,097 | 2,278 |
Average | 1,115 | 925 | 121 |
過去10年間(1990−1999)の降雨データから(金沢地方気象台調べ)
それでは、洪水被害をもたらす可能性のある、豪雨の場合はどうであろう。「表3」は、最近10年間の医王山と金沢地方気象台の降水量(2日雨量、日雨量と時間雨量の最大値)の比較表である。石川県の降雨パターン選定基準に準じて、2日雨量140mmを超えたケースを拾ってみると、5ケースある。5ケースのうち、山地が大きいケースが3ケースである。
この5ケースの日雨量と時間雨量の最大値を比較してみると、
日雨量の最大値では、山地の方が大きいのが3ケースである。
時間雨量の最大値では、山地の方が大きいのが2ケースである。
表3 医王山と金沢地方気象台(西念町)の降水量の比較
過去10年間(1990−1999)の降雨データから(金沢地方気象台調べ)
2日雨量が140mmを超えたケース単位:mm
No | 年月日 | 医王山 | 金沢気象台 | 差 | 備考 |
1 | 1990/9/19-20 | 176 | 70 | 106 | |
2 | 1996/6/24-25 | 214 | 215 | -1 | 24時間雨量が観測記録第2位 |
3 | 1998/8/12-13 | 148 | 113 | 35 | |
4 | 1998/9/21-22 | 177 | 160 | 17 | 台風7号 |
5 | 1999/9/20-21 | 63 | 179 | -116 |
日雨量(定時)の最大値の比較 単位:mm
No | 年月日 | 医王山 | 金沢気象台 | 差 | 備考 |
1 | 1990/9/19-20 | 116 | 45 | 71 | |
2 | 1996/6/24-25 | 175 | 187 | -12 | 24時間雨量が観測記録第2位 |
3 | 1998/8/12-13 | 104 | 64 | 40 | |
4 | 1998/9/21-22 | 161 | 143 | 18 | 台風7号 |
5 | 1999/9/20-21 | 62 | 120 | -58 |
時間雨量(定時)の最大値の比較 単位:mm
No | 年月日 | 医王山 | 金沢気象台 | 差 | 備考 |
1 | 1990/9/20 2-3 | 20 | 9 | 11 | |
1990/9/20 3-4 | 28 | 9 | 19 | ||
total | 48 | 18 | 30 | ||
2 | 1996/6/25 12-13 | 21 | 10 | 11 | |
1996/6/25 13-14 | 9 | 9 | 0 | 24時間雨量が観測記録第2位 | |
total | 30 | 19 | 11 | ||
3 | 1998/8/13 9-10 | 9 | 12 | -3 | |
1998/8/13 10-11 | 29 | 28 | 1 | ||
total | 38 | 40 | -2 | ||
4 | 1998/9/22 16-17 | 33 | 44 | -11 | |
1998/9/22 17-18 | 35 | 32 | 3 | 台風7号 | |
total | 68 | 76 | -8 | ||
5 | 1999/9/21 1-2 | - | 31 | -31 | |
1999/9/21 2-3 | 12 | 32 | -20 | ||
total | 12 | 63 | -51 |
注)医王山観測所データは、任意の日最大1時間雨量が無いので定時(あるいは正時)の2時間雨量で比較した。
結論
この結果から、年間の総降水量においては、明らかに「降雨は山間部の方が大きい」ということはできるだろうが、洪水被害をもたらす可能性がある豪雨の場合は、「降雨は山間部の方が大きい」とは言えない。これが、金沢の犀川周辺における豪雨の際の降雨特性である。
先入観ではなく、データで自然現象を的確に捉えること(必要なデータを収集し、データを適正に処理すること。)は土木技術の基本であり、これなくして、如何に精緻な解析手法とコンピュータ技術を駆使しても砂上の楼閣である。
10.石川県内のもう一つの洪水調節ダム(北河内ダム)
辰巳ダムに疑問を持った筆者は、県の情報公開室へ立ち寄った際に「石川のダム」のパンフレットをもらってきた(添付資料5)。現在、石川県土木部は3ダム(九谷ダム、辰巳ダム、北河内ダム)を建設中である。いずれも主目的は洪水調節である。このうちの北河内ダムのパンフレットももらってきた。単に一枚のパンフレットであるが、一瞥してまか不思議なダムと感じた。
北河内ダムは町野川(柳田村/輪島市)の上流に計画された洪水調節(洪水調節量95m3/s)を主としたダムである。パンプレットの計画流量配分図(単位:m3/s)はつぎのとおりである。
(資料省略)
基本高水流量(ダムで調節する前の流量)と計画高水流量(ダムで調節した後の流量)を比較するために、表にするとつぎのとおりである。
基本高水(A)に対する計画高水(B)の割合
単位:m3/s
項目 | 石井橋 | 孫三橋 | 鈴屋川合流前 | 天神橋 |
基本高水(A) | 380 | 840 | 920 | 1060 |
計画高水(B) | 300 | 780 | 860 | 1000 |
割合(B)/(A) | 0.79 | 0.93 | 0.93 | 0.94 |
削減率 | 21% | 7% | 7% | 6% |
この表からわかるように、孫三橋(上町川合流点から下流)のダムによる削減効果は6−7%である。石井橋(上町川合流点から上流)だけは21%の削減効果がある。これから判断できることは、上町川合流点下流はダムの洪水調節効果はほとんどないということである。下流の住民に対して、「洪水が発生したときに北河内ダムによって6%の水量が削減されますから、洪水の心配はありませんよ」と説明して、納得するものは誰もいないだろう。つまり、洪水調節といっても、上町川合流地点の上流の区域に対して効果があるのである。ではこの地域はどのようなところであろう。
ここは柳田村役場などの公共の施設などがあり、村の中心的な集落を形成している。平成10年9月には町野川の洪水のために約100戸の床上浸水等が発生した。一見して、洪水対策が緊急に必要に思われる地域である。ところが、少し注意深く観察してみると、被害にあったのは最近、造られた公営住宅群などであり、旧来の家屋は山の麓の高台に張り付くように配置されている。川の近辺はもともとは主として農耕地となっている。これらの農耕池は、地形的にみると、中心を流れる町野川の遊水池を形成している。このようなところに住宅を配置すれば、浸水するのは理の当然である。仮にダムができて、町野川付近の安全度が増したとしても計画以上の降雨が発生すれば、氾濫するのである。したがって、ダムができようとできまいと、洪水に対する危険度は高いのだから、そのようなところに住居等を作るべきではない。作るのであれば、浸水に対する備えをして住むべきであろう。100軒程度の家屋がそのような備えをして住めば、もともと洪水調節用のダムなど不要なのである。
あまり、必要と考えられない北河内ダムが計画された背景には、歴史的ないきさつもあったのではないかと想像し、『河川改修事業概要』(昭和60年2月石川県土木部河川課)を調べてみた。当時、計画されていたのは「町野川ダム」(洪水調節量270m3/s)であり、洪水調節量は「北河内ダム」の約3倍と大きい。町野川ダムを想定した場合の基本高水(A)に対する計画高水(B)の割合はつぎのとおりである。
単位:m3/s
項目 | 上町川合流前 | 岩瀬橋 | 鈴屋川合流前 | 天神橋 |
基本高水(A) | 440 | 960 | 1040 | 1250 |
計画高水(B) | 170 | 720 | 770 | 1000 |
割合(B)/(A) | 0.39 | 0.75 | 0.74 | 0.80 |
削減率 | 61% | 25% | 26% | 20% |
前述の表と比較して一目瞭然であるが、削減率が20%〜61%である。町野川ダムが没になったので、北河内ダムがその後継として計画されたものだろう。
ダムは治水に役立たない!
今までの知見から、筆者は「ダムは治水に役立たない」と思っている。主な理由は、
・洪水をコントロールすると言うが、ダム地点の水をコントロールしているのであって、下流の市街地付近の洪水をコントロールしているわけではない。
・ダムの検討をしているが、ダムの要/不要について検討していない。対象降雨もダムが有効に働くケースだけを検討している。辰巳ダム計画では、辰巳ダムが有効に機能しない、昭和28年8月24日洪水(浅野川の全橋梁を流失する大水害)のパターンは検討されていない。
「北河内ダム」も筆者の考えどおりであった。ダム地点近くの柳田村役場のある周辺ではいくらか役に立つだろうが、上町川合流点下流の町野川では役に立たないと言ってもいいだろう。ダムが役に立つといっても計画規模以上の降雨があれば、氾濫するのである。住民が「洪水が無くなる」と誤解しているのであれば、「北河内ダム」は、より大きな災害をもたらす、疫病神になるだろう。
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