「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」
についての
意見と反論および問題提起

目 次


「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」
(平成11年8月■■大学工学部工学博士■■■■)
についての意見と反論および問題提起

はじめに
本文


【付録】
付録1.辰巳ダムの計画降雨について
 1 計画降雨の吟味
 2 ダムを計画すると雨が増えるのか?
 3 辰巳ダムの洪水調節で犀川大橋地点の水量は?

付録2.「意見交換会」筆者配布資料
    (平成11年4月17日:降雨量・洪水量問題)
付録3.「意見交換会」筆者配布資料
    (平成11年7月31日:降雨量と洪水量問題に関する意見交換後の
     再問題提起)
付録4. 「石川県公共事業評価監視委員会意見」についての筆者の意見


はじめに
 筆者は、平成7年7月に冊子『辰巳ダム計画の土木技術的問題点』、平成10年3月に冊子『転換期の私的・土木技術論考 辰巳用水と辰巳ダムから明日の土木を考える』を作成して、土木技術的観点から辰巳ダム計画の問題点を指摘してきた。計画を策定した石川県に対して度重なる公開質問状で疑問を提示しているが、納得できる技術的な回答を得ていない。市民と行政が意見を交換するために開催された「意見交換会」においても県側の説明は一般論に留まり、筆者が提起している疑問点に対する回答になっていない。雨量・洪水量問題に関して、第1回意見交換会(平成11年4月17日)、第2回(平成11年5月15日)、第3回意見交換会(平成11年6月5日)で県の意見を拝聴し、新たな情報あるいは知見の入手はあったが、一般論の域をでていなかった。そのため、平成11年7月31日に開催された最終の意見交換会で、再度、「辰巳ダムに関する意見交換会の要約と再問題提起」を作成し、県に対して文書による回答を求めた。回答するという返答であったが、未だにその回答がない。県に回答の意志があるのかどうか、電話をかけてみたが暖簾に腕押しのようで要領をえない。思案投首であったときに、大学名、筆者名が黒塗りで一見怪文書のような、「所見」文書を入手した。
 この文書は河川工学の権威による「辰巳ダム計画に関する技術文書」であり、平成11年8月17日に開催された石川県公共事業評価監視委員会において、県側から各委員に配布された技術文書であるという。意見交換会には間に合わなかった(間に合わせなかった?)ので、直接、権威との議論は実現しなかったことは残念であるが、御高説を拝読した上で技術的議論を展開したい。
 当文書の構成は、囲み枠で示した「所見」の各項目ごとに、意見、反論、問題提起に分けて記述した。
意見: 「所見」のAさんは○○○と考えるかもしれないが、Bさんは×××と考える。十人十色、いろいろな考えがあるという「意見」である。
反論: 「所見」の土木技術的判断に対する技術的反論である。
問題提起: 筆者は土木技術者であるが、都市内の雨水排水、内水が専門である。河川工学は外水が対象である。答を導くための解析手法が異なることなど、筆者の知識や判断能力が劣ると考えられる部分では、反論ではなく問題提起という形とする。
 「所見」の「はじめに」の記述によれば、県の説明を受け、県の担当者からのみ、説明を受けられたようであり、この計画に疑問を持つ技術者等からの説明を受けられた様子はなさそうである。したがって、県の計画に有利な情報をもとに検討された点があるのだろうと理解できる。いかなる頭脳明晰な人間でも、短期間ですべてがわかり、すべて的確な判断ができるわけではない。賛成、反対の意見を収集し、比較検討することによって理解が深まり、的確な判断ができる。一方の情報だけでは、「所見」に判断ミスが発生し、結果的に県の事業を正当化するための片棒を担いだ文書になりかねないという可能性もなきにしもあらずである。このような点については同情の余地がある。
辰巳ダム計画に関しては、筆者の方がはるかに多くの情報と検討を重ねていると自負しているので、厳しすぎる指摘で不快な感情を持たれるかもしれないが許していただきたい。ともかくも、議論をすることが責務であり、社会の発展に役立つと確信する。

「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」は、以下「所見」と称する。
「建設省河川砂防技術基準(案)」は、以下「基準」と称する。
「犀川水系辰巳ダム治水計画説明書」(平成7年2月 石川県)は、以下「ダム計画説明書」と称する。
「辰巳ダムに関する意見交換会の要約と再問題提起」(平成11年7月31日の最終意見交換会に配布した筆者作成資料文書)は、以下「再問題提起文書」と称する。

1.はじめに犀川水系辰巳ダム治水計画の事業再評価に関連して、河川工学の立場から事業の妥当性についてコメントするようにとの依頼を、5月下旬に石川県から受けた。河川工学の実際への適用について関わっていくことは、生きた教育・研究にとって非常に重要な勉強を持つことであり、また、研究者の社会的義務の一つでもあるので、こうした問題について、必ずしも十全の知識や判断力を有しているとはいえないが、この依頼を受諾することとし、6月中旬、■■大学において、「犀川水系辰巳ダム治水計画説明書」、「流出解析計算結果」、「不等流計算結果について」、「辰巳ダムの効果説明資料」、「犀川平面図、同縦断図、横断図」等に基づいて、当該事業のご説明を頂き、ついで、7月上旬現地を踏査した。以下では、それらの経験とともに、送付された資料を検討して抱いた所見を述べる。


意見
 筆者は、平成6年〜7年頃に約1年間をかけて「辰巳ダム計画」について土木技術的観点から検討した。冊子『辰巳ダムの土木技術的問題点』をまとめ、その結論を「辰巳用水は良い土木事業の典型例である一方、辰巳ダムはこの対極で悪い土木事業の典型例である。」とした。このダムは土木技術的意味不明(役にたたない!)で後世の子孫にその負債を残すだけでなく、自然や文化財を破壊するだけのものであると理解した。なぜ、このような公共事業が進められるようになったのか、どのように方向転換するべきなのかを考えることが現代に生きる土木技術者としての社会的責務であり、かつ、納税者として税が有効に使用されるように行政を監視することが国民の責務であると考えた。
 必ずしも、筆者は十分な知識や理解力のもとにすべて的確な判断をしているとはいいがたいので、土木技術的に異なる意見・反論に対して、再反論・問題提起する過程を通じて議論を深め、より妥当な結論にたどり着きたいと考えている(個別にそれぞれ異なった自然現象を相手にする土木技術的回答は複数あり、いずれも100点満点の答えはない。)。議論の結果、筆者の判断に誤りがあることがわかれば、結論が逆転する余地もあるが、今までの約5年間の検討や議論を通じて、このダムの土木的有用性の疑問が深まるばかりである。この「所見」のご高説を拝読することによって、さらなる技術的な検討を深めたい。

2.治水計画について2.1 治水の考え方と工事実施基本計画の意義a) 水に浸らない安全な場所をたまたま(歴史的に・社会的に)運よく確保できた人々が、そうでない人々に「50年に、あるいは20年に1回のことだから浸水被害を我慢しろ。」と言って素知らぬ顔をきめこむことが同じ国民として許されることとは考えられない。自然災害に対してできるだけ同程度の安全性が確保されることが、現代では、社会生活成立の最も共通的な基盤の一つであり、これが治水事業が公的に実施される根拠となっている。

意見
 従来の治水事業は、堤防から見て水が流れる川側を堤外地、住居地側を堤内地とわけて、堤内地は設定された規模以下の水害に対して住民が同程度の安全性を確保するような施策が取られてきたといってよいだろう。ところが、そんなことは実際にはできない。堤防を築こうと低地は低地であって、高地に比べて水害の危険性は高い。堤防で完全に洪水をシャットアウトできれば問題はないが、いつかは来るかもしれない、既存の堤防を超える洪水に対して、どこまでも堤防を高くすることはできない。
 高い堤防を造り続けても水害が無くならない反省から、建設省は「洪水ハザードマップ(洪水氾濫対象区域図)」づくりを始めた。水害の危険性のある区域を住民に知らせるためである。つまり、どこでも同程度に安全にすることはできないということである。行政の行うべきことは、水害のリスクを説明し、公的責任で実施するところ、自己責任で実施するべきところを明確にすることだろう。
 金沢市内で再三にわたり、浸水被害が発生している高畠地区を見ると、治水行政と都市行政の複合的で典型的な失敗例を見ることができる。この地区は、もともと低地であり、犀川が氾濫するので農耕地として利用され、住民が居住しないところであった。ところが、高い堤防が築かれ、都市計画行政で市街化区域として線引きされた。旧住民は地形が高いところに集落を形成し水害に備えていたが、新住民は川沿いの低地に居住するようになった。堤防が造られても低地には変わりない。その結果、毎年のように浸水被害が多発するようになった。治水事業が水害を引き起こす象徴のようなところとなった。治水事業と都市政策の複合的な誤りが原因である。川の近辺は治水事業により堤防ができようができまいが水害の危険性は高いのであるから、居住や土地利用の制限をするなどの都市政策がとられるべきであり、水害の危険のないところは逆に居住を促進するような施策がとられるべきであろう。現在の金沢市でそのような配慮がなされているようには思えない。

b) 一般に、河川計画は、治水(通常洪水防御)計画、利水(水資源)計画、さらに、新(現)河川法では環境管理計画の3者の整合性を保ったものであることが要求されているが、それらの計画は相反する側面を有しているためにその調整は困難な作業となる。3者の中でも、住民の生命と財産の保全に直結する治水安全度の確保が優先されるのは、人類の立てる計画である以上、当然のことではあるのだが、水系一貫の観点で、このような対立する利害のバランスを考慮・調整し、基本高水等、治水・利水計画の基本事項を検討・決定することが前河川法における工事実施基本計画の意義となる。 c) したがって、工事実施基本計画策定のためには、自然的条件と社会的情勢の変化を見極める必要性があって、複雑な対立があったり、土地条件が悪く社会経済的に厳しい状況にある場合にはこの策定に長い時が費やされる場合がある。しかしながら、見極めがつかないからといって手を拱いて治水事業を放置しておくわけにはいかない。洪水は明日にでもやってくるかもしれないのだから。工事実施基本計画が策定できた場合に齟齬を来さないよう、十分な配慮を払いながら事業計画を進めていくことも実際には要求されている。策定時期についての規定が「前」河川法に明記されていないのは、この辺の事情が背景になっていると考えられる。「工事実施基本計画なしの河川管理がありえない」ことにはならず、「工事実施基本計画を全く念頭に置いていない河川管理はありえない」ことであって、これは、工事実施基本計画の策定に至るまで、十分な検討を行うための時間的な猶予を考慮したものであるともいえよう。 d) 実際、河川を取り巻く自然的・社会的環境が厳しければ厳しいほど、工事実施基本計画を策定するための検討事項は多くなり、それに割くことのできる人的能力の限界もあって、それに至るまでかなりの長時日が必要とされる。この場合、重要度の高い河川が優先されるのもやむを得ない状況であり、また、総合的な観点で金沢市の治水を考慮されてきたからこそ、浅野川の治水として放水路が掘削され、内川ダムが建設されたものであって、「前」河川法16条の精神に則った整合性のある河川事業展開といえる。

意見
 「工事実施基本計画策定に時間がかかる。手を拱いているわけにはいかないから事業を進めていく。計画ができたときに齟齬を来さないようにしながら。」という論理は住民にとってわかりやすいようで、不思議な論理である。
 犀川の治水計画の場合、昭和58年(1983)に辰巳ダムの築造を決めてから、平成元年に工事実施基本計画を申請した。辰巳ダムというのは、計画の中で洪水調節をするための手段の中の一つにしか過ぎず、最初に手段を決めてしまったら、計画は手段に考え方を合わせるだけの作業に過ぎなくなってしまわないのだろうか。ものごとの進め方は、まず、方針・計画があって手段が決められるはずである。
 (正当な論理) 方針・計画 → 手段(ダムなど)
 (逆転した論理) 手段(ダムなど)→ 方針・計画
 このような論理の逆転が疑われる例をつぎにあげる。

犀川ダムと辰巳ダムの洪水削減率は小さく、内川ダムは大きい!
 犀川には、すでに2箇所の洪水調節用のダムが2箇所ある。犀川ダムと内川ダムである。今回計画されている辰巳ダムを含めて、その諸元はつぎのとおりである。

ダム 集水面積 ダム洪水調節容量
km2 万m3
内川ダム 40.6 350
犀川ダム 57.8 430
辰巳ダム 77.1 560

 これらのダムの洪水調節能力、削減量、削減率について、内川ダム事業時点の数値が辰巳ダム事業時点ではどのように変更されるか、比較表につぎに示す。

ダム 犀川総合開発事業(内川ダム) 犀川総合開発事業(辰巳ダム)
洪水調節 削減量 削減率 洪水調節 削減量 削減率
m3/s m3/s % m3/s m3/s %
内川ダム 440→130 310 70 710→170 540 76
犀川ダム 570→220 350 61 950→480 470 49
辰巳ダム - - - 800→470 330 41

内川ダムの削減率は70→76%とアップしているのに対して、犀川ダムの削減率は61→49%と著しく低下している。どうして、前計画と比較して犀川ダムの削減率が大きく低下したのだろうか?
「ダム計画説明書」によると、内川ダムも犀川ダムもゲート操作の設定を変更しただけである。犀川ダムの削減率も内川ダムと同様に大きくできないのだろうか。ダムの洪水調節機能は、ピークの流量の一時貯留を期待するものであるから、辰巳ダムの上流にある犀川ダムの削減率を大きくすると、辰巳ダムの都合が悪いのであろうか? 既存の犀川ダムと内川ダムの洪水調節機能を辰巳ダム計画のために辻褄合わせをしたのではないかと疑がわれる? さらに、辰巳ダムの削減率が著しく低いのは、犀川ダムでピークをカットしているからではないのか?

河川の拡幅は治水部局だけで判断すべきでない!
 治水を担当する部署が判断できない、あるいは判断をすべきではないような行政判断をどんどんして、手段(ダム)にあわせざるを得ないような議論がなされている。治水部局だけでは判断できないところは、情報を提供して判断を仰ぐような作業をするのが行政の役割であり、治水部局で判断にあまるようなところを行政判断するべきではない。

 終戦後の混乱期ならばいざしらず、工事実施基本計画なしに整備が進められて、整合性が欠けた河川整備がなされた反省から、昭和40年の河川法改正で工事実施基本計画の実施の条項が盛り込まれた。急ぐほど、方向を決める計画が無いと遠回りになる。県との意見交換会では、県が怠慢を反省するごとき弁も聞かれたので、石川県では、今後、このようなことはなくなるだろう。そして、「意見交換会」が続けられていた最中、「石川県は県が管理する二級河川60水系の整備基本方針、整備計画を作成することを決め、八日までに作業に着手した。」と地元の新聞が伝えた。(北国新聞,1999年5月9日朝刊)

(追記)
 「洪水は明日にでもやってくるかもしれないのだから。」という予言者のような物言いは止めた方がよい。「明日にも大地震が来るかもしれない」と予言しても何の役にも立たないばかりか、住民の不安をかき立て混乱させるだけである。工学者であれば、統計的な確率に基づいた根拠で発言するべきだろう。

2.2 治水計画の策定 a) 治水計画の策定手順は、いずれの「河川工学」の教科書にも書かれており、それらは以下に要約する「建設省河川砂防技術基準(案)」の記述を逸脱するものではない。すなわち、この手順は大きく2つに分れており、初めに、無作為の(人為的影響の少ない)確率変数と見なした降雨から「基本高水」が求められる。つぎに、基本高水として得られた流量をダム貯水池等で制御し、河道に配分して処理するかを考えて、河道区間毎に「計画高水流量」が定められる。この配分・制御に対応してダム建設や河道改修が計画されて治水計画の策定は完了する。 b) 最初の基本高水は次のようにして定められる。 @流域や河川の規模、氾濫域の状態から「河川の重要度(A級〜E級)」を定める。 Aそれに対応して、実績降雨記録から、流域の自然特性から一まとまりの雨と見なせる「降雨継続時間」を決め、ついで、「計画規模」の(降雨継続時間に対応した)降雨量を確率統計処理によって求める。 B引き伸ばし率を2程度とすれば、この計画雨量に達するような豪雨群を実績降雨群から選び出す。 C選び出した豪雨のそれぞれについて、ハイエトグラフ(時間−降雨曲線)の降雨強度に引き伸ばし率を乗じて計画規模の降雨パターンを生成し、得られたハイエトグラフ(これを計画降雨という)に対して流出解析を実施して算定されたハイドログラフ(時間−流量曲線)のピーク流量を基本高水の候補とする。これより、算定された洪水流量にバラツキがあることは当然のこととなる。 D基本高水の候補流量を大きい順に並べて、それより小さい流量が60〜80%(カバー率)となるような流量を基本高水とする。 一方、計画高水流量は流域の状況に応じて定められることとなり、例えば、土地に余裕があって河道のみで基本高水を処理しようとすれば、計画高水流量は基本高水の流量と同じになる。日本のように平地に恵まれてない国では、河道のみで処理できない場合が多いので、ダムや遊水池で一時的に河道に流れる流量を少なくして、計画高水流量を減少させ、河道に占有される平地を節約して他の(生産)活動に振り向けることが多い。 c) 以上のような洪水規模の確率評価は、それまでの既往最大洪水を基準とした計画では、大出水の度に計画規模が変更される可能性があることから導入されたものであって、実際、明治以来先行的に治水事業の行われてきた河川では、一度ならず既往最大を上回る洪水に見舞われていて計画高水流量は大きなものへの変更を繰返している。 d) 計画規模が確率評価であり、可能最大降雨が解明されていない以上、治水計画から超過洪水への対応を抜き落としてしまうことはできない。行政訴訟を念頭においた単なる「管理瑕疵論」では、計画規模までの洪水を恙なく処理できれば問題はないことになり、政策的にその規模を低く抑えておく方が責任の範囲は限定されてくることになる。しかし、河川の安全を真剣に考えるならば、計画規模までの安全は完全に確保し、超過洪水にもできるだけ耐えて、被害を最小限に抑えることのできる方法を探ることになり、近年、話題となっている(洪水)危機管理はこの方向での議論である。

意見
 まさに、指摘されているように「実際、明治以来先行的に治水事業の行われてきた河川では、一度ならず既往最大を上回る洪水に見舞われていて計画高水流量は大きなものへの変更を繰返している。」こと、つまり、計画降雨の確率年数を上げ、基本高水流量を見直し、高い堤防と洪水調節ダムを造る方法(高水工事)によって洪水を制御するという方法が行きづまったということではないのだろうか。
 計画降雨を50年確率、80年確率、100年確率(犀川総合開発事業では100年確率は2種類ある!)と大きく、高水流量を見直して流水を収容できる河川構造物を造るという考えでは、永久に堤防を高くしていかないといけないことになる。計画降雨以上の雨が降り、洪水が堤防を超えたときにどうするか、その時に被害を最小限に留めるためにはどうしたらよいかを考えることが超過洪水対策だろう。
 となると、治水部局だけでは判断できることではなく、都市計画部局さらには、地域住民の意見を集約して判断することが必要となる。100年後、150年後のまちをどうするかという視点も必要となる。
 だからこそ、建設省も治水の考え方を変更し、治水は行政単独で進めるのではなく、地域住民の意見を積極的に取り入れる「コミュニケーション型行政」を唱えるようになったのだろう。

2.3 治水計画の策定に対する制約a) これらの手順は現在の河川技術のスタンダードとなっているものであって、この手順が踏まれて策定された基本高水は妥当なものと判断される。しかしながら、実際の計画では、この手順で標準とされているだけの実測資料が蓄積されている場合の方が稀で、観測期間、観測地点とも不十分な場合の方が一般的であるといって過言ではない。とくに、河川規模が小さくなればなるほどこうした状況に陥りやすい。b) この理由は、過去の雨量計測がほとんど人力を介して行われており、古い時代では通常日雨量のみが測定可能であり、昭和年代に入って管理が行き届いた気象管署でのみペン書き自記雨量計の1日あるいは2日に1度交換した自記紙を読むことでやっと時間雨量が得られるようになっている。これは、犀川流域の場合でも金沢地点で1940(昭和15)年から初めて時間雨量の記録が得られていることから理解される。戦後になって、転倒マス式雨量計が開発されて時間雨量が計測しやすくなり、今でこそロボット雨量計、テレメータ雨量計といった、遠隔地から雨量データを自動的に測定し安定して送致してくる機器が普及して、非常な危険を伴う出水時にも人手を介さないで河川上流部の山奥からの情報が入手できる。しかし、こうした雨量観測の整備も1970年前後からであって、流域を限れば、多少ともまとまったデータの入手が可能なのは高々最近30年程度でしかない。 c) 後でも述べるが、降雨現象や流出過程のように複雑で解明が進んではいないどころか十分な資料も蓄積されていない自然現象に対する、治水対策のような人間生活にとって必要性の極めて高い事業の場合、十分な資料の蓄積や現象の完全な解明を待って計画を立案することが許されるとは考えられない。どうしても不完全な資料から、その時点で最善の努力を払って妥当な結論に到達する方法をとらざるをえないことになる。

意見
 「治水対策のような人間生活にとって必要性の極めて高い事業の場合、十分な資料の蓄積や現象の完全な解明を待って計画を立案することが許されるとは考えられない。どうしても不完全な資料から、その時点で最善の努力を払って妥当な結論に到達する方法をとらざるをえないことになる。」といって不完全なデータで対策を取ってもよいと主張されているわけではないと思う。
 やむ得ないと判断する目安、基準があるはずである。戦後のように、数年おきに河川の災害が頻発するようであれば、走りながら考え、対策をせざるを得ないであろう。
 犀川の治水対策が進められ、犀川本線の決壊は昭和36年の第二室戸台風以来、約40年ほど無い。20年ほど前に作られた、データが不十分であった時代の辰巳ダム計画を急がなければならない状態にはない。
 また、金沢地方気象台地点の他に、犀川ダム地点、内川ダム地点で、すでに20年以上の2日雨量、時間雨量のデータがそろっている。コンピューター計算だから、新たなデータを入力してやれば、即時に答えはでてくる。幸い、まだ、本体工事にかかっておらず、周辺の道路工事中の段階である。再計算結果によっては、辰巳ダムを小さくして費用を縮減できるかもしれない、あるいはもっと大きくしなくてはいけないかもしれない。なぜ、20年以上の資料が蓄積されているにもかかわらず、再検討をしないのか。実施を決めた後、長期間にわたり事業に着手していない公共事業をあらためて評価するために、公共事業の必要性を再検討することを始めたのではなかったのか。ちょうどよい見直しのチャンスである。
 石川県は、犀川で辰巳ダム近隣に洪水調節機能を有するダムをすでに2つ(昭和40年に「犀川ダム」完成、昭和49年に「内川ダム」完成)も築造してきた。「内川ダム」築造の時点で、100年に1回の洪水に対しても安全であると主張していたにもかかわらず、昭和50年には、辰巳ダムを造らないと100年に1回の洪水に対応できないと主張し始めた。少なくとも、辰巳ダムに関しては、犀川ダム、内川ダムに比較して十分なデータで検討するべきであろう。
 同じ市内を流れる浅野川の天神橋地点は、辰巳ダム地点と同流域面積を持っている。計画洪水量は1.8倍の流量差がある。辰巳ダム地点で1,260m3/sに対して、天神橋地点で710m3/sである。データが不十分である中で、金沢を洪水から守るためにどうしたらよいかという認識があった上で辰巳ダムが計画されたとすれば、浅野川の上流に「湯涌ダム計画」が辰巳ダムと同時に計画されていたとしてもよい理屈になる。
 なぜこれほどの違いがあるのかという市民の指摘を受けるまで、20年間も放置されていた。辰巳ダムを決めてから、犀川の基本計画をたてるので、今度は隣接の浅野川の計画と矛盾がでてくる。「なぜ、不十分なデータで根拠の薄弱な辰巳ダムを造るのか」と追及されると、「データが不十分でも治水対策は実行しなければいけないんだ」と答える。それでは「なぜ、浅野川はデータが不十分でも治水対策は実行しないのか」と問えば、「今後検討する」と答える。すべて辰巳ダムを造ると決めてから物事を進めているから、つぎつぎと言い訳せざるをえないのではないか。

2.4 治水計画における計画高水流量の設定について a) はじめに、計画高水に対する洪水防御の手法には、一般に、河道による対応、放水路による対応、ダム・遊水池(調整池を含む)による対応、流域における対応、氾濫域における対応がある。 b) 河道による対応とは、堤防の嵩上げ、引き提(堤防を人の住んでいる側(提内側という)に引いて河川敷を拡大して洪水時の河道容量を増やすもの)、河道・河床掘削(河床や複断面河道の高水敷を掘り下げて河道容量を増やす)、捷水路掘削(蛇曲部を直線化した流路、ショートカットともいう)があり、いずれも、周辺の土地や河道に余裕がある場合に可能な方法である。堤防の嵩上げの場合でも、増加する水圧に対抗するためには嵩上げに見合っただけ(嵩上げ高の数倍程度)の提敷の増加が必要であり、河道断面を確保するために表法側(堤外側)への張出しは避けられる傾向にあって、裏法側の土地(提内地)の減少を招く場合が多い。 c) 放水路は、洪水を流下させるための新たな河道を掘削(新川掘削)するもので、信濃川放水路や淀川放水路のように、放水路が本川となってしまった例もかなりある。これも土地を必要とする対応である。 d) ダム・遊水池による対応とは、洪水流量をダムや遊水池のポケットに一時貯留し、洪水の流量ピークを低下させて河道への負担を減らす方法である。ダムは河道を横切って設けられるため、洪水は直接的に貯溜されるが、遊水池は河道の横に設けられることが普通で、河川の水位がある値を越えた時にのみ河川水は貯溜され、基本的に河床高と同程度か、より低い広大な土地が必要とされる方法である。 e) 流域における対応とは、総合治水対策あるいは総合的な治水対策で積極的に取上げられた方法であって、流域の保水機能を上げて降水をできる限り広い面積に停留させ、河道の負担を減らそうとする方法であって、農村域の田面の雨水貯溜効果が大きいことはよく知られているが、都市化した区域でも、各戸・各棟雨水貯溜施設、公園・校庭雨水貯溜施設(多目的遊水池)、防災調整池などを設けて効果を上げようとしている。 f) なお、流域という言葉には、集水域をいう河川工学的な意味の他に、河川の恩恵を蒙っていたり、逆に氾濫に悩まされたりする周辺地域との一般的な捉え方がある。後者の意味では、氾濫域による対応は流域による対応に含まれ、総合治水、あるいは総合的な治水対策での「流域対応」の使い方はこちらに近いといえる。また、遊水池は氾濫域のとくに低い地域を中心に形成されるので、氾濫域のおける対応の一つであるともいえ、より下流の河道区間に対しては流域対応の治水手段といえる。 g) 計画規模の降雨に対して河道を流れる最大流量である計画高水流量は、各流域や河道区間の特性を十分に把握し、併せて上述の手段の特徴を考慮した上で、最善の方法を組合せて基本高水を配分して決定される。その過程でも、「治水の基本は洪水位を下げること」にあるという原則を忘れてはならない。これは、自然外力の不確定性に起因する超過洪水への対応ではとくに重要となることである。破堤や河岸決壊の主要因の一つである水圧は基準高からの高さの自乗に比例し、破堤口からの流入量も越流水位の自乗程度に比例することからも、洪水位を下げることの意味が理解できよう。

問題提起
 ダムは治水のために有効か? 疑問がある!
@ダムは対処療法!
 浅野川、犀川いずれの下流地域において、市街地が広がっているので、河川の拡幅は困難という理由で、犀川の上流にすでに2つの洪水調節用のダムが造られてきた。同じ理由で3つ目の辰巳ダムが造られようとしている。浅野川を見直すと同じ理屈から4つ目のダムが必要となる。一体、いくつ造れば、金沢は安全になるのだろう。
 ダムは、一時的に薬で病状を抑えるようなもので根本的な解決になっていない。高価で強力な薬をすでに2服も飲んでいる。副作用も大きい。また、いずれ、ダムは、構造的寿命、貯水池が堆砂で埋まる寿命があるので、やがて薬の効き目も無くなる。やぶ医者に薦められて、高価で強力な3服目を飲もうとしているのではないか。
 結果論であるが、市内の都市計画街路と同様に土地と建築の規制をかけて50年かけて川幅を広げておけばよかったのである。時間はかかるが、鍛えて健康な体づくり(川の拡幅)をすればよかったのである。永久に水害の心配はなくなり、維持管理も容易である。いまだに、ダムを造って洪水調節をしないと、住民の生命と財産を守れない、まだまだ、ダムが必要であるなどと言う必要はなかったのではないのか。今からでも遅くはない!
Aダムは移動できない
どこに降るかわからない降雨に会わせてダムは移動できない。「ダム計画説明書」の解析で各降雨によって各ダムの洪水調節量が著しく異なることからわかるように、ダムの位置によって効果は著しくことなる。役に立つときもあれば立たないときもある。流域全体の安全度を高めようとすると、結局、本流はもとより、支流という支流、全域に洪水調節用のダムが配置される結果となる。
Bダムは山奥にしかできない
 市街地の近くにダムを造ると有効である。ダム地点で水量をコントロールすることは、直接、市街地の河川の洪水制御することになるからである。しかし、社会的制約から、ほとんどのダムは山奥である。山奥のダム地点の水量のコントロールは、下流の市街地の洪水を間接的に制御しているに過ぎない。市街地を流れる洪水の量を予測しながら、その出水量が小さくなるようにダムからの放流量を調節しているわけではないからである。マニュアルに決められたとおり、放水するのみである。
C小さなポケットしか造れない
 洪水量を全量、貯留できるのであれば、治水のために有効と言えることは明らかであろう。しかし、日本にそんなダムはない。日本の川は滝だという。そのような急傾斜を持つ地形にダムを造っても大きな貯水容量を確保できないのは自明である。
 「日本のダム貯水量は、フーバーダムの半分にも満たない、まだまだ、アメリカの水準に追いつくためにはダムを造らねばならない」と述べた建設省官僚がいる。すでに3,000箇所を超えるダムを築造しているが、さらに3,000箇所もダムを築造しようと言うのだろうか。21世紀中にダムを造り続けても追いつかないだろう。
 どうしてこんな馬鹿げた議論になるのであろうか。答は簡単である。小さいポケットしかできない、日本の自然条件では、洪水調節のように頻度が少なくて短時間に大容量の水をコントロールするためにダムは不向きなのである。
D堆砂で埋まる
 土質・地質が弱く削れやすいところが川になる。このようなところに横断して貯水池を造れば、削れた土砂ですぐに一杯になることは自明である。天竜川、黒部川などでは大きな問題となっている。
E川水の濁りが長期間続く(濁水)
 豪雨によってダムの上流から粘土質やシルト質の泥が大量に流されてダム湖に貯まると沈殿しないで濁水となる。ダム湖の水が入れ替わるまで、ダム湖の水の濁りは続く。ダム湖から放水される水で河川水が長期間、濁り続ける。
F水が汚れる
 山地からの有機栄養分が蓄積し、ダム湖が富栄養化する。
G地震を誘発する
 水圧とダムを支える基礎岩盤の関係で地震が誘発される。黒四ダムなどが有名であるが、そのメカニズムはよくわかっていない。

3.犀川の治水計画について ここでは、まず、十分なデータが有るとは限らないことが普通であるような状況で成されざるをえない、計画規模の決定手続きが妥当であるか、そうでないかの判断が求められており、ついで、遊水池に適切な箇所が金沢市の中心街よりも上流の犀川流域に存在しているとは考えられないので、妥当な範囲で河道による対応が可能か、否かの検討が重要な課題と考えられる。以下にこれらの2点を中心に述べていく。

意見
 「犀川の治水計画について」、「計画規模の決定手続きが妥当であるか」、「妥当な範囲で河道による対応が可能か、否か」「以下にこれらの2点を中心に述べていく。」前に、辰巳ダム計画にまでいたった経緯をどのようにご存じなのであろうか。「所見」の筆者は、辰巳ダムを計画されたいきさつを石川県からどのようにお聞きになったのであろうか。参考までに以下にいきさつと筆者の意見を交えて紹介する。

「ダム計画説明書」p.5に表-2.1 犀川水系治水計画の変遷 がある。

計画ダム 犀川総合開発事業
(犀川ダム)
犀川総合開発事業
(内川ダム、浅野川放水路含む)
犀川総合開事業
(辰巳ダム)
事業年度 S.35年度〜S.40年度 S.42年度〜S.49年度 S.50年度〜
計画規模 S.8.7.26
既往洪水対応
1/100年(辰巳ダム計画1/50年相当) 1/100年
計画降雨量 金沢観測所実績 184.2mm 基準点流域平均285mm/2日 基準点流域平均280mm/2日
計画最大時間雨量 79mm/2h(S.15〜S.29) 正時間観測値を統計処理 70mm/h 任意の最大60分雨量を統計処理 92mm/h
流出計算法 単位図法 単位図法 貯留関数法
計画基準点 犀川大橋地点 犀川大橋地点 犀川大橋地点
基本高水 930m3/s 1,600m3/s 1,920m3/s
計画高水 615m3/s 1,230m3/s 1,230m3/s
事業のきっかけ 昭和28年の洪水 昭和28年の浅野川洪水昭和36年の洪水 省略

犀川総合開発事業(犀川ダム)は、以下、犀川ダム事業と呼ぶ。
犀川総合開発事業(内川ダム、浅野川放水路含む)は、以下、内川ダム事業と呼ぶ。
犀川総合開発事業(辰巳ダム)は、以下、辰巳ダム事業と呼ぶ。

 犀川ダム事業のきっかけは、昭和28年の洪水(梅雨前線による。浅野川水系で大きな出水があり、浅野川大橋以外のすべての橋が流失。犀川の下流で大きな雨があったが、上流であまり降らなかったので被害がほとんど無かった。)であるが、浅野川の改修はダムを造らずに河道改修で対応した。犀川はダムと河道改修との両方で対応した。ダムの計画規模は過去にあった洪水をもとに計画され、犀川ダム(1965年)が造られた。犀川洪水調節の機能は、470→95にして375m3/sの洪水調節をする。約20km下流の犀川大橋地点で930→615として315m3/sの洪水調節を期待した。
 つぎの内川ダム事業は、昭和36年の洪水(第二室戸台風、犀川本線で堤防決壊などの被害が発生。)をきっかけに、犀川、浅野川の両方が同時に見直された。100年確率の計画降雨の想定をもとに、計画が策定された。浅野川下流の拡幅が困難、浅野川上流にダムの適地が無いという判断に基づいて、浅野川からの水量250m3/sを浅野川放水路を通じて犀川に受け入れ、これに見合う水量を犀川で削減することを目的として内川ダムが造られた。同時に、河道改修も行われ、犀川大橋地点の流下能力を615→1,230m3/sと倍増した(約4m河床を切り下げるなどによって断面の拡大を行った。)。
 内川ダム洪水調節の機能は、440→130にして310m3/sの洪水調節をする。
 犀川ダム洪水調節の機能を見直し、570→220として350m3/sの洪水調節を期待した。両方合計して、660m3/sの洪水調節の結果、約20km下流の犀川大橋地点で1850(1600+250)→1,230にして620m3/sの洪水調節を期待した。内川ダムは昭和49年(1974年)に完成した。
ところが、今回ははっきりしたきっかけが無いままに、内川ダムの完成を待たずに、辰巳ダムの計画が始まった。昭和50年1月8日付けの地元新聞(北国新聞)が報じた内容は、「辰巳ダムが国の五十年度予算原案で採択され、早ければ五十三年度に着工」とある。さすがに、内川ダム事業で100年に1回の洪水にも金沢は大丈夫と言っていた手前か、「辰巳ダムの効用の第一は、流量維持。つまり清流を取り戻すことだ。」とある。
辰巳ダムは金沢市民の生命と財産を守るために、洪水調節を主目的に計画された。ところがである。今回は、浅野川をそのまま、放置して、犀川だけを見直すことになった。どうして浅野川を見直さないのかという筆者の疑問に対して県は将来見直すと答えている。前回は、同時に見直したのに、今回は同時に見直ししないのはなぜかという疑問の回答にはなっていない。(辰巳ダムを決めてから、後から、金沢を安全にすると言う治水の大義名分をつけただけではないのかという疑問を持つ理由のひとつである。同時に、後述するようにこのことは大きな問題をはらんでいる。)
結局、既存の2つのダムの洪水調節機能を見直し、
 内川ダム洪水調節の機能は、
 710→170にして540m3/sの洪水調節をする。
 犀川ダム洪水調節の機能を見直し、
 950→480として470m3/sの洪水調節を期待した。両方合計して、1,010m3/sの洪水調節を期待した。
辰巳ダムは、
 800→470にして330m3/sの洪水調節をする。
3ダム合計、1,340m3/sの洪水調節の結果、約20km下流の犀川大橋地点で
 2170(1920+250)→1,230 m3/sにして940m3/sの洪水調節を期待した。
 内川ダム事業の時点と異なっているのは、つぎの3項目である。

計画ダム 内川ダム事業 辰巳ダム事業
計画時間最大雨量 70mm/h 92mm/h
流出計算法 単位図法 貯留関数法
基本高水 1,600m3/s 1,920m3/s

 流出計算法を変えても、信頼度が上がることはあっても解析された基本高水の大小には本質的に関係がない。したがって、基本高水が大きくなった理由は、計画最大時間雨量を大きく変更したということ、およびその関連事項に要因があると考えて間違いないだろう。
 計画降雨量(2日雨量)が280mm前後とほとんど変更されていないので、一塊りの雨の大きさは変わらないが、雨の塊の中央近辺にくる、山を高く想定したということがわかる。その結果、2時間前後の降雨が支配的となる計画基準点の犀川大橋地点の洪水量が、前計画に比べて2割大きくなり、1,920m3/sとなった(同じような理屈で行けば、浅野川の2割増大分はどう処置するのか?)。
ところが、この計画を子細に調べていくと(といっても「ダム計画説明書」であるが。)疑問がいろいろと涌いてくる。時間雨量を任意の最大60分雨量を統計処理したものが92mm/hrであるが、この数値の根拠は昭和20年代にあった金沢気象台の70mm/hrを超えるデータが2個あったことである。短い期間のデータではこの影響で予測の勾配が急になり100年確率の値が大きくなった。筆者は2日雨量に比較して信頼性が低いのではと指摘している。このことよりももう少し大きな問題は、2時間雨量である。この70mm/hr代の豪雨は、両方とも約1時間で終息している。大きな豪雨は短時間で終わるのではないか。2時間も続かないとすれば、2時間程度の降雨が支配的な犀川大橋地点の基本高水は大きすぎることになる。また、時間雨量データが金沢気象台以外でも計測されたものとして、倉谷(犀川ダム近辺)の70mm/hrのデータがある。そのとき、金沢気象台では10mm/hr代の雨しか記録されていない。つまり、20km程度も離れている地点で同時に豪雨は本当にあるのか。犀川水系は、降雨の空間的、時間的変動が大きいのではないのか。という疑問に対する説明は、「ダム計画説明書」にはない。基本高水の根拠となっているのは、「昭和27年型」「計画ハイエト」であるが、いずれも降雨の空間的、時間的変動を無視したデータを使用して算定している。本当にこれが、100年確率の洪水かどうか、非常にあいまいである。さらに、犀川水系の中でも、犀川本川と支流の内川と比較して犀川本川の方の出水が大きくなっている。ダムを計画すると気象状態が変わって出水量が多くなるわけではないだろう。(辰巳ダムに降雨データをあわせているのではないかと疑いを持っている理由の一つである。)
また、犀川ダムと内川ダムの調整機能は、1,010m3/sもあるが、辰巳ダムは330m3/sしかない。こんなに少ないのは効率性が問題ではないか。
さらに、「ダム計画説明書」p.54によれば、犀川ダムと内川ダムの洪水調節機能の結果、犀川大橋地点で1,920から1,630m3/sに削減されると説明があるが、辰巳ダムで330を削減しても1,300までしか低下せず、大橋地点の流下能力1,230m3/sをオーバーしてしまう?。
データが十分でないのでやむを得ない、治水は緊急を要するのでほっておくわけにはいかないということで、犀川ダム、内川ダムとつぎつぎ、洪水調節用のダムが建設されてきた。昭和36年(1961年)以来、40年近く、本川の堤防が決壊するような災害はない。不十分なデータで急いで造る必要があるのか?。
3つ目も造らないと金沢を洪水から守れないと主張するが、浅野川を見直しすると4つ目のダムが必要となる。内川ダムは浅野川の拡幅ができない、ダム適地がないことを理由に築造した。この伝でいけば、浅野川の見直し→第二放水路+第二内川ダムが必要となる。ダムを最初に決めて後から工事基本計画を立てることと同じでいきあたりばったりである。
戦後の50年をかけて、犀川も浅野川も拡幅をすればよかったのではないか。そうすれば、洪水調節用のダムを建設することも、維持管理する必要もない。
ここらでじっくり、行政、市民を含めて皆で議論しながら、金沢の未来を設計してはどうだろうか。

3.1 計画降雨の評価 a) まず、生起確率1/100の計画規模は、北陸の中心都市金沢市の中心部を流れる流域面積256km2の犀川としては当然のことであろう。可能最大降雨が未解明の現状では、治水の対象とする降雨規模の算定は過去から蓄積されてきた資料の確率統計的な処理に頼らざるを得ない。この場合、対象流域のみならず、周辺地域にも広げて資料を収集する必要がある。犀川の治水計画の場合、近隣の手取川流域の内尾観測所や浅野川(大野川)流域の医王山観測所のデータも対象に加えられており、妥当な手続きがとられている。しかしながら、時間雨量の測定されているデータは昭和30年代に至るまで、昭和15年からの金沢観測所のものしかなかったことから、一まとまりの雨量規模を解析対象とするために2日雨量を採用したのは合理的な判断であり、ガンベル法、岩井法及び石原・高瀬法の3つの手法で2日雨量の1/100の計画降雨量を評価した点に問題はない。

意見
 気象台による各地点の降雨観測の期間は、日雨量、時間雨量について「ダム計画説明書」によると、つぎのとおりである。

地点 日雨量データ 時間雨量データ
金沢 明治13−現在 昭和15−現在
湯涌 大正4−昭和43 -
内尾 大正1−現在 昭和46−現在

 金沢、湯涌、内尾の各観測地点の関係を図2降雨観測地点位置図に示す。

図2 降雨観測地点位置図

湯涌は犀川ダム地点に近く、内尾は犀川ダム、内川ダム地点に近い。
 「ダム計画説明書」では、2日雨量の解析では、湯涌のデータを使用しているが、流域平均雨量の解析では、なぜか使用していない。P.34の昭和15年〜昭和29年の降雨資料の補填はつぎのようになっている。
金沢時間雨量波形…・・実測
鶴来時間雨量波形=金沢時間雨量波形×(内尾2日雨量/金沢2日雨量)
犀川ダム時間雨量波形=金沢時間雨量波形
なぜ、
犀川ダム時間雨量波形=金沢時間雨量波形×(湯涌2日雨量/金沢2日雨量)
あるいは、
犀川ダム時間雨量波形=金沢時間雨量波形×(内尾2日雨量/金沢2日雨量)
とならないのだろうか?。片方は、内尾のデータで調整しているが、片方は湯涌あるいは内尾のデータで調整をしていない。妥当な手続きがとられていない。そして、争点の一つである計画降雨は昭和27年型である。

b) 大出水には数10年周期の周期性のある可能性が高いことがいわれている(例えば、高橋 裕著「河川工学」東大出版会)ので、本来であれば計画降雨の採用にも数十年間程度の資料を用意することが望ましい。残念ながら、犀川流域でこの条件を辛うじて満たす観測資料は金沢地点のものしかなく、昭和31年まではこのデータにのみ頼らざるを得ないことがわかる。さらにいえば、これをデータの流用というのは当たらない。

反論
 反論を述べる前に確認しておく。言葉尻を捉えるわけではないが、「これをデータの流用というのは当たらない。」というのは、「データの流用はするが、データのねつ造というのは当たらない。」という意味であろう。以下、「データの流用」の意味について議論したいので確認しておく。
 ダムの計画する時点で十分なデータが無くてやむをえずに既存のデータでやらざるを得なかったことに対して、責任追及するつもりもない。しかし、少ないデータによる解析、データが無く他の地点のデータ流用は、場合によってはとんでもない誤差が生まれる危険性がある、「データ流用」の結果を鵜呑みにするととんでもない間違いを起こすことがある。
 「データの流用」に関して2つの大きな問題がある。一つは解析結果を評価する際に論理的な誤りをおかす点、一つは降雨という自然現象の空間的・時間的変動を無視するという点である(筆者のように内水が専門である場合は、無視しても実用上の支障はあまりない。しかし、外水の場合はこれが大きな問題となる。)

解析結果を評価する際に論理的な誤りをおかす点
 まず、「データの流用」して解析するということはどのようなことであろうか。データ(実際値)と流用したデータ(仮定値)を混在させて解析すれば、算出された結果は(仮定値)相当の信頼度しかないものにしかならないであろう。したがって、データ(実際値)だけで解析して算出された結果と同等に評価することは論理的な誤りである。この点については、「再問題提起文書」添付資料-1で、各期間のデータが実際値か仮定値か、各降雨波形のケースはどのようなデータに基づいて計算しているか説明している。その結果、県が根拠としている「S27.6.30型」降雨波形の信頼度は著しく劣ることを指摘した。

降雨という自然現象の空間的・時間的変動を無視するという点
 降雨という自然現象は、空間的・時間的に大きな変動がある。狭い区域で計画する場合、これを無視しても実用上の支障は少ない。しかし、河川の流域のような広い面積を対象とする場合は問題である。河川の洪水量を算出する解析手法の使用に際して、空間的・時間的な変動を無視するような操作を不注意に行うことは解析手法を誤用することになる。
 当計画における降雨の「データの流用」は、ある地点の継続的な時間雨量データを他の地点に適用するということであり、一様な降雨が同時に発生すると想定することになり、空間的・時間的変動を無視する結果となる。辰巳ダム計画では、その中間的なデータの流用もあり、金沢気象台の「データの流用」に際して、3つのパターンに分けることができる。

期間 犀川ダム地点 内川ダム地点
昭和15年〜昭和29年(15年) 空間的・時間的変動を無視 空間的変動を調整、 時間的変動を無視
昭和30年〜昭和40年(11年) OK 空間的変動を調整、時間的な変動を無視
昭和41年〜昭和52年(12年) OK OK

 昭和15年〜昭和29年(15年)は、犀川ダム地点で金沢気象台の降雨データをそのまま流用し、空間的・時間的変動を無視している。内川ダム地点では近接している内尾の日雨量データと金沢気象台の日雨量データの比を乗じて時間雨量を調整しているが時間的変動は無視している。昭和30年〜昭和40年(11年)は、倉谷のデータを使用している。OKは、実際のデータを使用していることを示している。
 このようにパターンを分けてみると昭和15年〜昭和29年(15年)は、昭和30年以降の23年間のデータ使用に比べてかなり無理なデータの取り扱いをしていることがわかるであろう。県は「ダム計画説明書」の中で最終的に、4パターンの降雨波形を選んだ。

降雨波形名
年月日
犀川大橋地点
S.27.6.30 1,910 m3/s
S.39.7.7 550
S.47.9.16 1,470
S.49.7.9 1,300
計画ハイエト 1,920

データの流用という観点から見ると、
S.27.6.30型は大いに問題あり、
S.39.7.7型は若干、問題あり、
S.47.9.16型とS.49.7.9型は、信頼できることがわかるだろう。
S.27.6.30型以外は、実際のデータを使用して計算している点から信頼性が高く、その計算結果では、辰巳ダム無しで100年確率の洪水に対して金沢は安全であることを示している。
 石川県が辰巳ダムの根拠とする「S27.6.30型」降雨波形では、結果的に連続した時間雨量90mm/hrと74mm/hrの雨がほぼ流域全体に降ると想定を導き出す結果となっている。これが本当に100年確率の雨なのであろうか。
 実際のデータと比較してみよう。
「ダム計画説明書」に載せられているデータを参照してみよう。犀川ダム地点で時間雨量40mm以上の降雨に対して、金沢地点で同時にどれだけの降雨があったかを抜き出してみるとつぎのような結果となる。                         

単位:mm/時間

日時 犀川ダム地点 金沢地点
昭和36年9月15日19時 78.0 15.2
昭和42年8月15日11時 48.0 4.9
昭和47年9月17日5時 64.0 3.5
昭和47年9月17日6時 46.0 1.0
「S27.6.30型」降雨波形 95 平均84
「計画ハイエト型」降雨波形 87 平均87

注)昭和36年9月15日の犀川ダム地点のデータは倉谷の実測値である。
 犀川ダム地点で豪雨があっても、金沢地点(金沢地方気象台、犀川ダムから20km程度下流に位置する)の降雨は小さい傾向が読みとれる。
 また、継続的に大きな雨が降り続くというデータはあるのであろうか。昭和15年からの金沢気象台の資料によれば、1時間雨量が70mmを超える雨が3回記録されている。この際の2時間雨量、そして県の計画値を比較してみよう。
                           

単位:mm

日時 地点 1時間雨量 2時間雨量
昭和25年9月18日15-17時 金沢 77.3 87.2
昭和28年8月24日8-10時 金沢 75.7 77.7
昭和36年9月15日17-19時 倉谷 78.0 96.0
「S27.6.30型」降雨波形 犀川ダム
犀川大橋
95
平均84
173
「計画ハイエト型」降雨波形 犀川ダム
犀川大橋
98
平均87
150
平均134


「S27.6.30型」降雨波形 犀川ダム犀川大橋
犀川ダム犀川大橋
 実際の降雨では、いずれの場合も70mmを超える豪雨が降った場合、1時間程度で終息することが読みとれる。
 大きい雨ほど短時間で地域的に偏在して発生するという降雨特性があることがわかる。石川県の計画では、なぜこのような降雨特性が反映されず、大きな雨が長時間、広範囲に降るという想定に至ったのだろうか。今まで説明してきたように、金沢気象台のデータと全く同じものを犀川ダム地点に流用したからである。
 「S27.6.30型」降雨波形のケースで具体的に述べよう。このケースの実際の降雨データは、金沢気象台(金沢地点)のデータだけである。以下に示す。

日時 金沢地点 犀川ダム地点
S.27.6.30 5-6時 36.6mm データなし
6-7時 30.3mm データなし

 梅雨前線による降雨であり、時間30mm代の雨が継続することはよくありそうである。この雨をどう処理したか。石川県の計画では、これをそれぞれ2.452、2.588倍に引き伸ばし、さらに20kmも離れた犀川ダム地点に流用した。その結果を以下に示す。

日時 金沢地点 犀川ダム地点
S.27.6.30 5-6時 89.7mm 94.7mm
6-7時 74.3mm 78.4mm

 時間30mm代の雨がある地点で連続して降ったことを理由に広範囲に、継続して豪雨が発生すると想定しているが、どうしてそのような結論を導き出すことができるのか、技術屋ならずとも疑問に思うのは当然であり、不合理な結論であることは明らかである。
 石川県はつぎのように説明する。
 「新潟で時間97ミリの雨が降ったので金沢でも降るかもしれない。」
 「栃木県の那須地域で昨年70ミリを超える雨が2時間続いたので犀川水系でも降ると考えられる。」
 降雨という自然現象は土地固有のものであり、違う場所と比べても無意味である。技術者の説明とは思えないが、このような考えに疑問をもたない原因であり、その最大のより所は「データがないのでやむえず計算したもので問題はない。」という決めてである。
 小学生でもおかしいとわかる論理を堂々と主張するのは、これもそれも、データがない、データを流用してもよいというやむをえない行政判断を正当な技術判断と誤認しているからである。やむえない行政判断は、技術判断で正当かそうでないかは全く別次元の話であり、やむえない行政判断が、技術的にはとんでもない間違いをおかすことがあることを指摘している。
 県は、辰巳ダム地点(辰巳用水取水口地点)で、1,260トン/秒の出水があると計算している。この地点で、このような出水があれば、おそらく10m以上の水位に達し、辰巳用水取水口や数多くある横穴が崩壊するか、あるいは土砂で埋没してしまうだろう。東岩取水口が安政2年(1855)にできて、すでに144年の歳月が経過している。県が主張するように100年確率の洪水なら、この間、1回くらいあってもよさそうなものである。そのような災害の痕跡はない。また、このような豪雨であれば、山形が急傾斜である犀川上流で大崩壊があってもおかしくない。戦前までは、この地域には多くの集落があり、人々が生活していた。大きな災害があれば、記録や言い伝えとして残っていそうなものであるがない。このような点からも県の計画洪水量の数値が実態を無視し、過大で、有史以来発生したことがないような出水ではないかという疑問を持つに至っている。
 このような検討の過程で、県の計画は、検討の段階で、根本的な間違いをおかしていることに気がついた。事実をはっきり掴もう、自然現象をしっかり把握しようと言う考えがあまりないということであった。データがない、やむをえないからデータの流用をしてもよい、わからないから大きめに取っておけというような安易な考えが治水事業の中では、半ば常識化し、正当化されていることであった。
 県は、犀川の治水での懸案の犀川大橋地点での出水量のデータも満足に計測していない。自らが計算した数値がどの程度、実態に即しているか、評価もできない状態である。
 今日、科学技術が進歩発展し、社会生活に大きな貢献をするようになった。この科学技術の進歩は、ものごとを観念的にとらえるのではなく、ありのまま、正確に把握する科学的合理精神のおかげである。自然現象をありのままとらえる、実態を把握するデータをあつめる。自然現象の把握がいい加減であれば、データ収集、解析が不十分であれば、如何に精緻な洪水解析手法を用いても信頼度の低い結果しか得られない。

c) 一般に、降雨は山間部の方が多く、平地の金沢市のデータを流域全体に適用すれば、降雨を過小に見積る虞れの方がはるかに高い。これは、東西に延びる線上に水蒸気の収斂線が形成され、それに沿って発生した雲が東に向って流れて山地にぶつかって上昇したところで降雨がもっとも激しくなるからである。現に、犀川流域から少し離れてはいるが、同じ両白山地に面した福井県西谷村(現大野市)では、1965年9月に80mm以上の時間雨量と800mm以上の日雨量が観測されている。

反論
 「降雨が山間部で多い」という主張は正確ではない。「年間の降雨量が多い」という意味では、データを確認しなくとも、山で雨に遭うことが多いことや雪が深いことなどの経験から、平地よりも山間部が大きいことは明白で、その理由はここで説明されている通りであろう。
 しかし、時間最大雨量については必ずしも明確ではない。地形、風向き、降雨の種類、降雨への水分の供給形態、植生等によって影響を受け、平地と山間部での降雨強度の相違は不明瞭である。
 実際のデータを確認しよう。金沢に豪雨が降った時に、辰巳ダム上流の山間でより大きな豪雨が同時に降っているのであろうか。『ダム計画説明書』の「実績降雨波形の選定」の項にデータが載っているが、カナザワ地点で30mm/hr以上のデータが7つある(うち、2つは、カナザワのデータをサイガワダムのデータとして流用)。この時、同時に、サイガワダム地点でこの数値を上回っているのは、1つのデータだけである。山間地でより強い雨が降る傾向にあるとはいえない。
 また、「福井県西谷村(現大野市)では、1965年9月に80mm以上の時間雨量と800mm以上の日雨量が観測されている。」としているが、気象条件は地域固有のものであるから、何の説明にもなっていない。仮に、この観測値が犀川にも当てはまるとすれば、800mmの日雨量で計画をしないといけないことになってしまう。

d) 計画降雨の候補として、過去の被害等を念頭において、6降雨が抽出されているが、確かにやや少ないことは否めない。また、半数が年最大2日雨量ではない点や、かなりの被害をもたらした昭和28年8月出水が抜けている点も気になるところであって、その理由を知りたいと感じている。

意見
 「計画降雨の候補として、過去の被害等を念頭において、6降雨が抽出されている
が、確かにやや少ないことは否めない。」の指摘は納得できる。20降雨くらいの降雨を取り上げ、選別して10降雨くらいを選ぶ。そして、包括する数値を各地点で見つければ、自ずから計画洪水量が得られるはずである。「基準」では「通常10降雨以上」としている。どうして、計画降雨の候補が6ケースしかなく、選別した結果、わずかに4ケースとなるのだろうか。これは、つぎの指摘とも関連がある。
 「また、半数が年最大2日雨量ではない点や、」の指摘も、大きい雨を選択せずに、小さい雨を選択したことになるから、自然な疑問である。県が計画降雨の候補とした6ケースのうち、3ケースは年最大2日雨量ではない。年最大2日雨量を計画降雨の候補とすれば、昭和15年から昭和52年まで38ケースもある(金沢気象台で時間雨量、2日雨量のデータが揃っている。)。なぜ、たった6ケース、それも半分が年最大2日雨量よりも小さいのであろうか。
 県の選択の基準は、「犀川大橋基準点の流域平均雨量で2日雨量140mm程度以上かつ最大時間雨量30mm/h程度以上の豪雨」である。
 もし、単に「犀川大橋基準点の流域平均雨量で2日雨量140mm程度以上」という条件でなく「2日雨量140mm程度以上」であれば、昭和15年から昭和52年までの38年間の年最大2日雨量のうち、21ケースもある。また、単に「最大時間雨量30mm/h程度以上」とすれば、手元にデータがないので数値を挙げることはできないが、100をゆうに超えるデータがあるだろう。
 県の選択基準のように両方を条件にすると、6ケースしかなくなるということはどういうことか。これが、この土地特有の降雨特性ということである。つまり、広い範囲に大きな雨が降らないということではないのか。犀川の流域は256km2程度と、あまり広くないといっても、最上流から河口まで40kmであるが、奈良岳山頂の標高は1,644mあり、平野部から上流に向かい狭くなった谷筋は険しく、地形も複雑である。これらの地形が平野部と山間部の降雨現象に大きな相違をもたらしていることは容易に想像できる。県の選択した6ケースについて見ても、その相違はあきらかである。
 県の作成した「ダム計画説明書」のデータを拾って図表に表すとつぎのようになる。(表の中の時間雨量は最大値をピックアップしたもので、同時のデータではない。)

わずか、6ケースであるが、梅雨前線と台風の違いが明瞭にでている。
 当地域で豪雨をもたらす雨は、主として6月から7月にかけての「梅雨前線型豪雨」と9月から10月にかけての「台風型豪雨」である。
 「梅雨前線型豪雨」の特徴は、だらだらと降雨が続き、ピークの時間雨量も比較的、小さい。空間的な特徴は、山間部も平野部も降雨量に差が少ないということは、上図でもわかる。一方、「台風型豪雨」は、ピークの時間雨量が大きく、山間部で大きな雨があり、平野部との降雨量の差が大きい。西南から北東の方向に短時間に移動していくことが特徴である。昭和36年の第二室戸台風は犀川の決壊など災害をもたらした豪雨であるが、ほぼ1時間程度の降雨継続時間であり、あっという間に過ぎ去った。
 計画降雨の候補が少ないのはつぎのような理由からではないか。梅雨前線型は、上記の特徴から、設定した2日雨量強度(140mm以上)の基準で選択しても、ピークが小さいので時間雨量30mm以上の基準でふるい落とされたのだろう。そして、ピークが小さいので洪水にはなりにくい。(下流部で排水が悪くなり、浸水が起こることは再三ではあるが。)
 また、台風型は、上記の特徴から、時間雨量は大きいが、2日雨量強度(140mm以上)の基準でふるい落とされたのだろう。
 したがって、この基準の設定がおかしいということになるのではないのか。(あるいはデータが少なすぎたのか。)土地固有の自然現象を的確に捉えるという努力がかけているのではないか。
 台風型の豪雨を捕まえる場合、2日雨量強度のものさしはあっていないような気がする。12時間あるいは6時間といったものさしも必要ではないのか。
 そして、最終的な降雨波形は、梅雨前線型5ケース、台風型5ケース、あわせて10ケースとして検討するのが、金沢の治水計画になじんでいるように考えるがどうであろうか。
 また、最上流端から河口まで40km、最上流で降った雨が約3時間弱で河口まで到達する、したがって、3時間前後の継続時間の降雨がピーク流量を決定する。懸案の犀川大橋地点の洪水のピーク流量は、約2時間の降雨継続時間の降雨が支配的となる。2日雨量強度、1時間最大雨量強度では、懸案の犀川大橋地点のピーク流量をとらえがたいのではないのだろうか。仮に2日雨量強度、1時間最大雨量強度で計画したとしても、100年確率の2時間雨量強度を調べ、チェックする必要があるのではないだろうか。
 「かなりの被害をもたらした昭和28年8月出水が抜けている点も気になるところであって、その理由を知りたいと感じている。」。この理由は簡単である。辰巳ダムを決めてから、金沢の治水計画を立てているからである。金沢に未曾有の大災害をもたらしたこのパターンの豪雨があった場合、辰巳ダムは何の役にも立たない。金沢地方気象台地点では、2時間雨量77.7mmとかなりの雨が降ったが、犀川上流では比較的、降雨が少なく、被害が無かったのである。浅野川水系の医王山を中心に降り、浅野川大橋以外のすべての橋梁が流失した。

e) しかしながら、実績降雨をティーセン分割によって流域の各ブロックに配分し、計画降雨に引き伸ばして得られた時間雨量は、再び金沢観測所の1/100確率の時間雨量強度で検証されている。すなわち、引き伸ばし率が低い降雨でも、時間雨量強度の確率が流域のどこかで1/400以下になるような生起確率が極めて低い降雨は棄却されており、妥当な手順が踏まれていると判断される。この結果、採用された計画降雨は過剰な降雨強度を持ったパターンとはなっていない。既述のように、同一地域では金沢のような平地の降雨強度は山間部の降雨強度よりも低いことの方が一般的であり、治水計画としては低い降雨強度を与える計画降雨を選択したことになる可能性が高く、とても過剰な計画であるとはいえない。

反論
 「この結果、採用された計画降雨は」は、つぎの5降雨パターン(計画ハイエトを含む)である。

降雨波形名
年月日
犀川大橋地点
S.27.6.30 1,910 m3/s
S.39.7.7  550
S.47.9.16 1,470
S.49.7.9 1,300
計画ハイエト 1,920

 このうち、「実績降雨をティーセン分割によって流域の各ブロックに配分し、」をしたのは、S.39.7.7 型、S.47.9.16型、 S.49.7.9型であって、県の計画の根拠としているS.27.6.30型、計画ハイエト型はデータの流用によって実質的にティーセン分割をしていない。
 また、「金沢のような平地の降雨強度は山間部の降雨強度よりも低いことの方が一般的であり、」とは必ずしも言えない。

f) 流出解析モデルには、我が国各地で適用されてきて、計算結果に実績のある貯溜関数法が採用されており、流域分割も支流の合流過程やダム等のチェックポイントを反映した適切なものとなっている。モデル定数も従来から適用性が高いといわれている値が用いられ、犀川流域の実績出水へ適用した結果からその検証が行われていて、標準的な手続きが踏まれている。したがって、流出解析結果は現在の技術レベルを十分カバーしていると判断される。

反論
 いかに精緻な解析手法を使用しようと、これに用いるデータが同様に信頼性の高いものでなければ、算出される結果の信頼性は高くならない。
 県の根拠とするS.27.6.30型、計画ハイエト型はデータの流用によって全域一様に降雨があるように設定しているが、このような空間的・時間的変動を無視するような解析であれば、単にピーク流量を算出する簡易な「合理式」とほとんど変わらない。技術的な知識がない市民に対して、精緻な解析手法を使用しているから信頼度は高いと説明するならば、この「貯留関数法による解析」は単なるこけおどしにしか過ぎない。

g) 様々な降雨パターンについて検討することが肝要であるという点が、河川砂防技術基準(案)に謳われていることの根幹であって、10の降雨パターンはその単なる目安に過ぎず、流域の規模によっても当然変ってきて、広いほど空間分布の相違が顕著になるので多くのパターンで検討することが必要となってくる。犀川流域の場合、流域面積はそれほど広くなく、空間的なパターンの変化はそれほど大きくはないと思われるので、この点で、採用することとなった実績降雨では発現しなかった後期集中型の降雨パターンについても検討したことは評価できる。 いずれにしても、種々の制約のなかで、技術基準(案)に書かれていることを超えて妥当な結論を導くことが重要な点であって、自然を相手に市民の安全をまもる洪水防御計画では十分な資料がない方が普通であり、その中で、「治水」の本質を見据えて計画していくことが必要である。辰巳ダムの計画はその思想の延長上にあると思われる。

反論
 「広いほど空間分布の相違が顕著になるので多くのパターンで検討することが必要となってくる。犀川流域の場合、流域面積はそれほど広くなく、空間的なパターンの変化はそれほど大きくはないと思われるので、」と面積だけで判断しているようであるが、降雨データを子細にチェックされれば、犀川流域の降雨の空間的なパターン変化は非常に大きいことがわかるであろう。このことは、筆者が石川県と再三にわたり、データを示して議論している点である。降雨を単純化して選別を重ねて何も無くなったという感じである。「後期集中型の降雨パターン」つまり、計画ハイエトを評価しているようであるが、「昭和27年型」と「計画ハイエト」と同じものである。1時間雨量90mm程度、2時間雨量を130−170mm程度の雨を全域に継続して降らせたということで、結果的にはほとんど同じものである。このような降雨が発生する可能性があるという根拠は実際のデータにはない。

h) この20年間、犀川流域が大きな降雨に見舞われなかったのは僥幸であって、北陸地域でも、近年富山・新潟県境や新潟市周辺では今回の計画降雨強度に近い雨が降っている。一方では、島根県西部のように、昭和58、61、63年と立て続けに200mm前後の3時間雨量を経験した後、10年間以上平穏状態を迎えている地域もある。犀川流域でも平成10年9月には出水被害が生じており、再び昭和30年代後半のような多雨期を迎えることも考えられる。この21年間の降雨データを追加すると2日雨量や金沢地点の1時間雨量の1/100確率値はおそらく下がることにはなると思われるが、現計画の約90mm/hrが80mm/hrを大きく下回るようなことにはならないであろう。犀川大橋地点への流量を低減させる辰巳ダム地点に着目するなら、流域面積が小さくなる分、降雨強度は上昇すると予想され、降雨強度を下げることは犀川大橋付近の河道をより高い危険にさらすことに繋がりかねない。この平穏な20年間のデータを追加して計画降雨強度を下げ、かつかつの河道改修のみで洪水に対処しようとするのは、単に数字を盲信したことに起因した「未知の自然」に対するある種の冒涜ともいえよう。

反論
この議論は、二つの点で誤りを犯している。一つは、降雨解析の考え方についての誤りである。もう一つは、降雨という自然現象を的確に把握する段階と洪水を制御するための方法論の段階をゴッチャにして議論している点である。

降雨解析の考え方についての誤り
 時間最大雨量を求めるために、毎年の最大値を一つ選択し、観測年と同数のデータを統計解析して求めることが普通で、石川県もそのようにしている。この際、多雨期のデータ、少雨期のデータと区別して計算することはなく、多雨期、少雨期を含めて一連のデータとして認識し、100年確率の数値を求める。解析する時点で、集められる最大のデータ数を用いて解析するはずである。データ数が多くなれば、信頼度が増すからである。多雨期、少雨期のサイクルが十数年あるいは数十年としても、これらをすべて含めたものが100年確率の数値に反映させなければならないはずである。
 仮に、現時点でこの治水計画を策定するものと考えて見よう。毎年の最大時間雨量データを最少自乗法によって統計解析をすると、結果はつぎのとおりとなる。
昭和15年〜平成10年(データ数59) 84mm/時間
同様の方法で県が使用している同数のデータで解析すると
昭和15年〜昭和48年(データ数34) 95mm/時間
と11mm、大きい数値となる。それでは、現時点の計画で、95mm/時間の数値を採用するであろうか。否である。大体において、多雨期と見られる時期が不明確であり、かつ、少ないデータ数で解析すれば、誤差が大きくなり大きな数値を算出される。例えば、70mm代の雨が2度もあった戦後の10年間で解析すると
昭和20年〜昭和29年(データ数10) 136mm/時間
と異常に大きな数値となる。
 石川県の算定した数値が間違っていると言っているわけではない。その時点で集めたデータで解析したのであるからやむ得ないといえる。しかし、2日雨量に比較してデータ数が少なく、誤差が大きいだろうということを指摘している。多くのデータ数で解析した数値の方が信頼度が高いのではないかということを指摘しているわけである。
 この「所見」の伝でいくと、2日雨量も多雨期のデータを選択して解析しないと「単に数字を盲信したことに起因した「未知の自然」に対するある種の冒涜ともいえよう。」ということになると思うのだが?

降雨という自然現象を的確に把握する段階と洪水を制御するための方法論の段階をゴッチャにして議論している点
 降雨データを集めて降雨解析する段階で工学者が余裕を見る、見ないの判断が入る余地はない。この解析は、如何に自然現象を的確に捉えるかの作業であり、それぞれの解析手法に定められた手順を的確に従うのみである。得られた結果が、80mmであれば80mm、90mmとでたのであれば90mmである。数字を盲信するといけないからと大きめに100mmにしておくなどということはありえない。
 自然現象は誰にもわからない。科学者が編み出した解析手法によって目処をつけるわけである。この数値が100年確率の数値だろうなと、あたりをつけるわけである。このあたりをつけるにあたって、こんなデータでこういう方法で答を見つけました。信頼性はこの位です。ということであろう。それ以上のことは、神のみぞ知る、である。
 信頼性に不安があるとすれば、データを操作するのではなく、洪水量で余裕を見るというのが筋というものだろう。そして、これに見合った方法を取って洪水を制御するということになる。
 ちなみに、「計画降雨強度を下げ、かつかつの河道改修のみで洪水に対処しようとするのは、」としているが、筆者は県が主張する計画降雨強度でも河道改修のみで洪水に対処できることを指摘している。

3.2 計画高水流量の河道のみによる処理について a) 不等流計算結果から明らかなように、金沢市内中心部の犀川大橋周辺区間が狭窄部になっているために、その上流で流れが堰き上げられる状態が起こり、辰巳ダムの建設を前提とした計画高水流量の1230m3/secで辛うじて越水を避けられる状況となっている。したがって、犀川大橋地点の流水断面を増加させることができれば、堰上げ状態が緩和され、上流区間の水位低下をもたらすことが可能となる。なお、現在越水の危険の高い上流区間の河道断面を広げることは、この区間の流速を低下させ(、著しく速度水頭が減少して位置(ピエゾ)水頭が増加す)ることとなり、逆に水位の上昇を招くために有効な手段とはいえない。このため、上流区間の水位を低下させるためには犀川大橋地点周辺で流水断面積を増加させなければならない。 b) 一般に流水断面の確保には、河幅を広げたり、河床を掘り下げる河道掘削と堤防の嵩上げの2つの方法があり、実際には現地の状況に合わせてこの2つの方法を組合わせて河道の洪水疎通能力を確保することが行われている。 河道掘削のうち、河道の拡幅は広い用地が要求されるため、犀川大橋周辺のように、極度に資産が集中している都市域では膨大な用地収得費が掛かり、事業費を大幅に押し上げるだけではなく、土地がなくなるために建物の移転等を余儀なくされ、それまでの風情が失われることから、経済社会活動に多大の損失が生じることを覚悟しなければならない。一方、拡幅を伴わない河床の掘削は、河岸斜面が長く、かつ、急になるために、河岸の著しい不安定化を招くことになって、大小の洪水時に河岸が決壊する確率が上昇する。これを防止する目的で、左右両方の河岸に沿って巨大な護岸構造物、というよりも強固な擁壁構造物を建造していくことが不可欠となる。拡幅が可能な場合は河岸の斜面勾配を低下させることができ、また、高水敷や小段を設けることによって、河岸決壊の危険性を大きく減じることができるので、河床の掘削も容易である。 以上から、この場合の妥当な方法はこの区間で河道を拡幅して犀川大橋を架け換えることとなるが、工事費が巨額に上るばかりではなく、犀川大橋の通行止めによる利便性の損失は計り知れないものがあろう。 c) 一方、堤防嵩上げは、既に述べたように、洪水時に水位上昇によって水深の自乗に比例する水圧の上昇を生じ、提体全体の横滑りや浸透流による提体材料の流失など、破堤に直結する現象を引起こす。これを避けるためには、単に提体の高さを上げるだけでは不十分であって、その全体を大きくして水圧に耐えるだけの重量とする必要がある。提敷は提高の増加以上の割合で広げなければならず、提敷の確保に相当な努力と費用が払われることとなる。さらに、高い堤防は、人々を河川と切り離す要因となり、景観の悪化につながる場合が普通である。 d) 犀川大橋周辺区間の場合、河道間際までビルが立ち並んだ社会・経済活動の中心地となっており、河道拡幅の可能性は、(何等かのきっかけによる金沢市民の意志で)大規模な都市再開発計画が進められるまで、事実上皆無といえる状況であろう。 これより、流水断面積の確保は、拡幅を伴わない河道掘削のみに拠らざるをえない。既に、この区間の河床は、犀川大橋下面から10mも下がった高さにあって、日頃は水面が下流の可動堰で上昇されているために気が付かないが、実際には「擂り鉢の底を見るのに近いような河道」となっていて、(東京都の神田川まではいかないが、)このような河川が都市の中にあってよいだろうかとの素朴な疑問の湧いてくるところである。 この区間の河床は第二室戸台風時の洪水災害を契機に約4m掘り下げられたとのことであるが、単純には、このような人々に馴染み深い都市中心部の河川でよくそのような思い切った河道改修が可能であったものだと感じている。当時は、おそらく、水害に対する備えについての人々の理解が深かったのであろう。 e) この区間は、両河岸に沿って3つの用水が走り、犀川大橋を潜っているが、これらがあるために河道はなんとか複断面形状を保っていて、これが河岸の安定に役立っていると思われる。しかしながら、もし、現在の河道幅のままで必要な流水断面積を確保するとするならば、少なく見積っても両岸の用水路下部の小段を全て取り除かなければならないであろう。だが、低水路の河岸斜面は高さが5m以上もあって、これがこれまで被害を受けていないのは、根固め等の河床の維持管理とともに、たまたま、改修後低水路満杯を越えるような数100m3/sec クラス以上の大きな出水を経験していないためかもしれない。これまでいくつかの災害調査に参加し、また、護岸被災についての資料解析を実施した経験からは、練り積みといえども斜面勾配が急で高い河岸が天端付近まで浸水した場合に崩壊する可能性は決して低くないと予想される。 f) 犀川大橋と一部重なる8600m地点の横断図面上では、この区間の用水路が乗っている高水敷部分を切り下げると、容易に流水断面積が増加できるように見られるが、これは、右岸側の道路摺り付け部分が局所的に引っ込んでいるためであって、大橋の上下流それぞれ100mの区間では、No.1断面図に見られるように、高さ10mに及ぶ河岸は用水路の部分が小段の役割を果たしているために辛うじて安定を保っているのであって、単純に掘削するだけの余裕は全く無いといえる。これを掘削して他の構造物に置き換えるには、河岸のすべり破壊に耐えるだけの残留水圧も考慮した丈夫な擁壁を長さ200m以上にわたって両岸に沿って設ける必要がある。この工事では、周辺のビルの基礎にも影響を及ぼさないような土留め等細心の注意が要求され、用水の維持と出水の影響と考慮すると、施行の困難さは工費を計り知れないほど押し上げるであろう。 g) 洪水時の水位を下げるもう一つの方法には、平均流速を上げて同じ流水断面積でより多くの流量を処理できるようにすることがあり、低平地の緩流蛇行河川では、捷水路(ショートカット)を設けて河道勾配を上昇させ、流速の増加が図られてきた。しかし、流速を増加させることは、河道の土砂流送能力を高めることでもあって、河床・河岸の不安定化を招きやすくする面は否めない。すなわち、三角州地帯のような緩流河川では望ましい方法ではあっても、金沢市街地区間の犀川のように、直線的であって、既に、出水時には数m/sec を越える流速となることが予測され、河床を多数の床止めによって維持している河川では現実的な方法ではない。 すなわち、都市を流れている河川敷に余裕のない川では、むやみに流速を上昇させるのは不測の事態を招きやすく、できる限り避けるべきである。例え洪水時ではあっても平均流速で6m/sec を越えるというのは決して望ましいことではない。 結局、流速の上昇を避けるためには高水流量を低減させるしかなく、犀川流域の開発状況を見ると、流域に現在以上に出水のピーク抑制に有効な保水機能の増強を求めることは事実上不可能であって、ダム貯水池の建設に頼らざるをえないであろう。

意見
 筆者が指摘したように、実際のデータに基づいた解析の結果、石川県の既計画値に近い数値が算定されたものとしよう。この「所見」には、洪水量を犀川大橋地点の河道のみによる処理として、いくつかの貴重な提言が含まれている。
 所見にあげられた方法はつぎの3通りである。
 @流水断面の確保(河幅を広げる方法)→工事費が巨額
 A流水断面の確保(拡幅を伴わない河道掘削)→施工の困難で工事費が増大
 B平均流速をあげて多くの流量処理→不測の事態を招きやすく望ましくない
 いずれにしても技術的に可能であることが示唆されている。この中で特に筆者が着目するのは、@である。ABのケースについては、窮屈な空間で若干無理しての対策であり、安全性の不安は長期的にも残る。これに対して、@は実行することによって将来的にも全く問題はなくなるからである。
 歴史的に見ても意味のあることである。浅野川が女川(おんながわ)と言われ、犀川は男川(おとこがわ)と言われ、暴れ川であった。土木技術が現在のように発達していなかった江戸期には、犀川に一個所の橋しかなかった。それが図3に示すように北国街道と犀川が交差する現在の犀川大橋地点である。当時は、木製の橋であり、洪水に対しては非力であり、たびたび流失した。その都度、架け替えられたが、当時の技術を補うため、橋の長さを短縮する工夫で右岸側(片町側)の土堤を寺町側に寄せた。その結果、犀川大橋地点だけが、著しく河幅が狭くなったのである。橋梁の発達した現在、技術的な理由で川幅を狭める理由は無くなったのである。もとのように河幅を広げれば問題は解決するのである。               

図3 「延宝年間(1673-1680)金沢城下図」から引用

 ただし、数百年かけてできあがった市街地を今すぐに改造することはもちろん困難であろう。しかし、50年かければ、用地買収の費用だけで問題はほとんど解決する。現在の堤防、橋梁(犀川大橋、大正時代の建造物)を含めて、既存の構造物、建物は、すべて寿命が来る。河幅を広げてつくりなおせばよいのである。用地買収にしてもそんなに困難なことのように思えない。市内の都市計画道路は50年かけて造っている。金沢駅から武蔵が辻までの都市計画街路にしても都心の密集地に新しく造られたものである。
 「以上から、この場合の妥当な方法はこの区間で河道を拡幅して犀川大橋を架け換えることとなるが、工事費が巨額に上るばかりではなく、犀川大橋の通行止めによる利便性の損失は計り知れないものがあろう。」「河道拡幅の可能性は、(何らかのきっかけによる金沢市民の意志で)大規模な都市再開発計画が進められるまで、事実上皆無といえる状況であろう。」 と河道拡幅を否定的に捉えているが、現時点での河川工学者の判断としては無理もないであろう。しかし、このような問題は、河川工学者が判断できる問題ではない。行政においても治水担当部局で判断できる問題でもない。犀川大橋地点の改造は、新交通システムの問題とも関連し、行政、市民全体で考えるべきことであり、21世紀の課題である。
 であるから、「犀川流域の開発状況を見ると、流域に現在以上に出水のピーク抑制に有効な保水機能の増強を求めることは事実上不可能であって、ダム貯水池の建設に頼らざるをえないであろう。」と結論づけるのは早計というものである。

3.3 治水計画の高畠地区への効果について犀川下流の低平地にある高畠地区では、現在の洪水時には地盤高よりも犀川や伏見川の水位が高くなるために内水の自然排水は不可能となり、堤防を横切る樋管を閉じてポンプ排水を行わざるを得ない。しかしながら、下流から河道改修が進んでくると、洪水の疎通を妨げていた狭小な河道断面区間が解消され、全区間で河道容量が大幅に増加するため、中小洪水時における河川水位は著しく低下することになる。おそらく、県の試算通り、平成10年9月出水と同じ降雨では、河川改修による河道容量の増加で2m数10cm以上の水位低下が見込めるであろう。この場合、かなり下流であるため、ダムの洪水調節による水位低減効果は30cm程度と見積もられているが妥当なものと思われる。 この出水では、現況と同じ河道形状におけるダムの洪水調節効果による水位の低下は30cm程度と算定されているが、他の降雨パターンを持った実績出水の場合、60cmから1mの水位低減効果が算定されている。このように、高畠地区では、ダムのかなり下流部であるにも拘らず、降雨状況によって程度は異なるものの、辰巳ダムの建設によって現況河道のままでもかなりの治水効果が期待でき、自然排水が可能な場合も生じる。それ以上に河道改修の効果は歴然と現れるのでこれを一段と進捗させる努力も重要である。

反論:
 この議論は、住民に誤解を与えかねない、まぎらわしい説明である。この説明と逆の結果がでたときに、また、弁明をして取り繕わざるを得ず、工学者の信頼さえ、失いかねない問題を含んでいる。

図4 高畠地区位置図

 端的に述べると、「外水」と「内水」の問題を一緒にして議論している。ダムは外水をコントロールする施設であり、計画降雨があった場合にピークを一時貯留して遅らせて流し、堤防から溢水させないようにするものである。これに対して、低地の高畠の浸水は内水の問題であり、土地を嵩上げして高くするか、ポンプで強制的に排水するかなどの内水対策で解決する問題である。30p程度の水面の上下で、内水が排水しやすくなって効果があるなどという議論を展開するのであれば、まず、既に存在する洪水調節用のダム、「犀川ダム」と「内川ダム」の調節効果について説明しなければならない。平成8年6月25日(梅雨前線)、平成10年9月22日(台風7号)の降雨時にどのように操作して高畠地点の水位を下げるようにしたか、その効果はどうであったのかをまず説明しなければならない。「犀川ダム、内川ダムが有効でなかったからこそ、高畠に浸水が起きたのではないか?。この犀川ダムと内川ダムが辰巳ダムとどう違うのか?」この説明をしてからにしなければならない。
 「所見」では、石川県担当者の説明を受けて「辰巳ダムの建設によって現況河道のままでもかなりの治水効果が期待でき、自然排水が可能な場合も生じる。」としている。では、筆者が詳細に調べた平成8年6月25日(梅雨前線)のケースではどうか(「今回の豪雨(平成8年6月25日)における高畠三丁目付近の浸水被害について(技術的見解)平成8年8月1日」に詳しく記す。)。この雨は、金沢地方気象台観測史上2番目に大きい24時間雨量(199mm/24h)を記録し、高畠地区も大きな浸水被害を被った。この雨は、一塊りの雨としては、大きかったが、時間雨量は、金沢地点 2-18mm/h、医王山地点 1-21mm/h(169mm/24h)と小さな雨であった。このようなだらだらとした雨は、ピークがないし、ダムで調整のしようがない。
 ダムは水の出てくるのを遅らせるだけの機能であり、雨が降れば河川の水位が上昇することに変わりはない。ダムで貯留することによってこの水位の上昇時間を長引かせることになり、高畠のような低地ではさらに水はけが悪くなることも考えられる。
 また、ダムの操作によっては、水位が逆にあがる場合もある。貯水池が満水ちかくなり、ダムに被害を与えないように緊急放流され、下流では逆に水位が上がり、水害が発生するケースもよく聞くようになった。
 ダムは本線の水量をコントロールする施設であり、ダムの調節によって水位が低くなることもあれば、逆に高くなることもある。降雨によっては、調節をせずにそのまま流出させる場合もあり、川の水位はダムに関係なく、変わらない。つまり、高くなる場合、低くなる場合、そのままの場合、いろいろである。
 ダムの操作は、計画で想定したパターン豪雨に対して機能させるように操作規定が定められており、毎年のように発生する雨に対しては対応していない。したがって、川の水量は、操作次第で、大きくもなり、小さくもなり、変わらない場合もある。あくまでも、外水をコントロールする施設であり、内水のことを考えてダムをコンとロールするわけではない。
 また、内水と外水のゴッチャにして考えると、つぎのような誤解も生まれる。住民は、辰巳ダム計画で想定した豪雨があり、辰巳ダムが機能したときに、高畠は当然、水害に遭わないと信じている。ところが、高畠は大水害が発生する。なぜならば、辰巳ダム計画では全域に87mm/hrの雨が発生すると想定している。その場合でも犀川は堤防を超えて氾濫しない。ところが、居住地側に降る雨、内水に対する備えは、50mm/hr対応である。それも再三の浸水被害で、やっと高畠雨水ポンプ場の整備に着手した段階である(平成13年度供用開始)。完成しても、水路、ポンプ設備ともに、50mm/hr対応の能力しかない。したがって、87mm/hrの雨が降った場合、ポンプの能力は不足し、水路から水が氾濫することになる。つまり、辰巳ダムができようとできまいと、低地である高畠は内水による浸水被害にあうということである。

3.4 治水計画への先端技術の導入について ここで、「犀川総合開発事業辰巳ダム建設環境影響評価書(昭和62年石川県土木部)についての問題点と提案」に述べられていた、治水計画への先端技術の導入について考えてみたい。 a) 計画時点から20年近い歳月が経っており、その間に新しい技術が開発され、整備されてきたのは事実であり、確かに、降雨の実態把握は気象衛星の映像やレーダー雨量計網の充実に見られるように進んできている。しかしながら、天気予報の精度さえも満足できるものとはなってはおらず、レーダー雨量計でも降雨強度の推定精度の向上は未だに開発途上にあり、雨域移動の予測も研究段階にあって完全な実用には至っていない。例え実用化されたとしてもこれらは測定技術であって、洪水を直接防御するものではない。先端技術を駆使しても降雨の制御など及びも付かない現状を鑑みるならば、洪水防御の基本が「河川改修」であり、「ダムによる出水制御」にあることは否定できない。これらの方策は、長年月の試練を経ながら培われた技術であって、その有効性は多くの実績によって確かめられている。 b) すなわち、伝統的な河川工学的手段に拠らない洪水防御方法を先端技術によって開発することが可能であって、それによって、環境維持面、文化財保存面を満足しながら、経済的に治水の実をあげることができればそれに越したことはない。けれども、洪水外力は極めて大きく、したがって、基本的にその制御に必要とされる物理(学)的「力」(とエネルギー)にも膨大な大きさと量が要求されることを忘れることはできず、洪水防御施設にはこうした物理的力(やエネルギー)を洪水期間中安定的に保つことが不可欠の要件となる。c) 結局、現状では、先端科学技術が力を発揮できるのは、基本的に工場における装置の制御など、人間が全てをコントロールできる、自然から見ると、ごく限られた領域でしかないことを認識しておかねばならない。最近、一般家庭にも普及し始めた、先端技術の集積とも思えるパーソナルコンピュータが、些細なキー操作で容易にフリーズしてしまい、リセットせざるをえない事実を見るだけでも、「治水」に代表される「社会生活の安全」をこのような脆い一面を有する先端科学技術に預けるのは現時点では無謀な試みといえる。

意見
 結論である「「治水」に代表される「社会生活の安全」をこのような脆い一面を有する先端科学技術に預けるのは現時点では無謀な試みといえる。」に対しては同感できる。ただ、二つの点で腑に落ちない。
 一つは、ダムによる洪水制御は降雨を予測する技術がなければ成り立たないのではないかという問題である。もう一つは、「ダムによる出水制御」もこの先端科学技術に下支えされているのではないかということである。
 前者については、前述したように、ダムは山奥にあり、洪水被害を受ける市街地は下流である。ダムで調節した水は数時間後、市街地地点に達する。市街地地点の水量を制御するためには、数時間さかのぼってダム地点の水量をコントロールする必要がある。あらかじめ、数時間の間の降雨、降雨に応じた各流域からの出水量の予測をしながら、ダムの放水をしなければならない。となると、先端技術は不可欠ではないのか。
 後者についても、ダムを操作する操作室の制御系統は、まさしく、述べられたようなコンピューターなどの「先端科学技術」によって支えられている。先端技術に依存せざるを得ないようなしくみになっている。機械は壊れ、装置は動かなくなるものである。マーフィの法則ではないが、非常事態でどうしても動いて欲しいときに動かなくなる恐れがなきにしもあらずである。特に、万が一に備えるような治水のための装置は、まさに、先端技術に預けるのは無謀な試みではないのか。
 この論理で行くと、「ダム技術に預けるのは現時点では無謀の試みといえる」ので、河川の拡幅しかない? そもそも、洪水調節にダムを利用し始めたのは、たかだか、半世紀の経験である。21世紀には生き残っている技術であるかどうかわからない。河口堰のように、河川の中に障害物を造ることが、なぜ、洪水調節になるのか、いまだによくわからないこともある!

4.あとがき 治水は全容を掴むことのできない自然を相手にする事業であるだけに、民間企業の経済活動のような最大効率のみを狙ったぎりぎりの計画は避けるべきであって、「80数mm/hrでは何とかなるが90mm/hr強では難しい」というような治水計画は立てるべきではないと考える。

意見
 「治水は全容を掴むことのできない自然を相手にする」からこそ、自然現象を的確にとらえる努力が必要であり、ぎりぎりとした厳しい目も必要となる。対策はハード、ソフトともに余裕を持ってやればよいことである。実態を的確に捉えることと余裕を持った対策をすることと別次元の話である。
 自然現象をしっかりとらえる意識が不足しているから、つぎに説明するスポットデータと平均降雨強度をゴッチャにして議論することになる。そして、災害が発生したときに、行政の担当者が本質を理解していないために非科学的な、わかりにく言い訳をせざるをえなくなり、住民の行政不信がおきる?。
 降雨現象をわかりにくい、つかみにくいものだから、ぎりぎりではなく、余裕を持って、大きめに取っておこうという安易で非科学的な考えが、自然現象をしっかり見極める目を曇らせる。曇った目を持った工学者が市民、住民に的確に説明できないことに通じる。原子力行政などに端的に現れているが、治水行政にもある。時間最大雨量80mm,90mmという議論もその一つである。
 考えてもみて欲しい。新聞報道などで発表される降雨は、ある測定地点のスポット(点)のデータである。その地域の平均降雨強度を表しているわけではない。40mm/hrと報道されても、その周辺では30mmのところもあれば10mmのところもある。あるいは50mm、60mmとそれ以上の豪雨が降っているかもしれない。実際の雨はわからない。これに対して治水計画で考えているのは、平均降雨強度である。90mmとしたら、80mmのところもあろう、100mmのところもあろう、平均で90mmですよというわけである。したがって、仮に90mm対応の計画をしたとしても、実際の降雨が90mmだから安全と言うことにはならない。実際に計測された降雨データが90mmとしてもその周辺で90mm以上の降雨があり、平均降雨強度が90mm以上あれば、計算上、洪水被害が発生することになる。
 住民側からすると、90mmまで安全といっていたのになぜ、洪水被害を受けるのかと疑問に思う。そして、行政はこれは予想を超えた豪雨であったと言い訳しなければならないことになる。「80数mm/hrでは何とかなるが90mm/hr強では難しい」という「所見」の議論では、一般の住民は誤解する。
 本質を認識していれば、的確に説明できることである。付言すると、降雨で洪水をうんぬんするのは本質的に問題がある。降雨は洪水量を算出するためのデータである。治水は洪水量をどう制御するかであるから、もっともしっかり観測するべきは各地点の水量である。したがって、降雨によって洪水を判断するよりも、各地点の水量を観測、予測する洪水予知対策が主になるべきである。この出水量を予測するのが時々刻々の降雨データである。各地点の洪水量を観測、予測することが基本となるべきだろう。こうすれば、行政の対応も混乱することはなくなるだろう。

 なお、行政に対する住民の要求は、近年の情報公開、アカウンタビリティの確保等、従来にはなかった部分における比重も高まっている面が否定できず、担当者の業務は増加している。その一方で、行政改革・人減らしの圧力はますます強くなっていて、担当部署がパンクしてしまうのではないかとの虞れなきにしもあらずといった感想も抱いている。

意見
行政が時代の変化に適応していない。無駄な公共事業が多く、必要な介護福祉といった事業に行政の歳出が回りかねている、住民の要求に応えていないからこそ、情報公開やアカウンタビリティが問題となり、住民からの要求圧力が高まるのである。
河川行政を見れば、行政の縦割りや自治体間の不整合などの弊害があり、住民の要求に応えていない。治水の担当部局では開発のため洪水流出量が大きくなるからと洪水調節のダムを造ろうとする一方、農林の部署では上流で雇用対策の林道事業でどんどん林道を開発する。雇用対策なら開発でなく、逆に保全するような仕事にすれば、治水をしなくてもよくなるのであり、整合がとれていない。また、高畠地区の問題も県の誤った説明に市が踊らされ、対応が後手後手にまわった。内水の問題でポンプ排水などの対策を取る必要があるにもかかわらず、辰巳ダム建設をすれば水害がなくなるというような県の説明に市が踊らされ、手をこまねいている間に、度重なる浸水被害に見舞われ、住民からの強い要求でやっと対策に着手した。
行政が機能不全を起こしている。時代の転換期であり、行政の役割が大きく変化しつつある。業務が増加するというよりも業務が変化しつつある。仕事が一時的に増えるのは、従来からの仕事をそのままにして上乗せするからである。行政は市民、住民の全体の利益につながるようなことをやっていないから、批判を受け続けるのである。方向転換するべきところをしないで、言い訳を続けて強引にことを進めようとするから、しなくてもよい業務を続けざるをえないのである。
役所に人が多すぎるから、不要不急なことをやりすぎる。河川行政に関しては、近年、河川の親水空間としての意義が強調されるようになると、盛んに行政は、堤防に散策用の木製の階段や花壇、人工のワンドなどを作り始めた。このようなことは、行政組織がやらなくとも民間のボランティアに任せればよいことでそんな暇があったらもっと行政は人員を削減すればよいのではないだろうか。もともと、民間団体や住民ではできないから、行政という特別の組織を作ったはずである。
やっと、県が管理する二級河川全六十水系の整備基本方針、整備計画を作成することを決めた。このような政策立案の部門に重点をおくべきである。建設から、維持管理やソフト(政策立案)に比重を移すべきときである。民間でやれることは、民間にまかせ、官でなければできないところに注力するべきである。
 幸か、不幸か、石川県の計画は、全域に87mm/hrを降らせるような馬鹿でかい計画であるので、犀川大橋地点の拡幅をすれば、犀川に関しては半永久的に問題はないだろうと推測する。犀川ダム、内川ダムの洪水調節機能も止めて飲み水と農業用水の水瓶に留めるべきであろう。
 

 

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