「陶板」制作は、「器作り」とはかなり違います。
少しでも手を抜くと失敗で応えてきます。
特にヒビが入り易く、土揉み、成形、乾燥、焼成
どれも気を抜けません。 形も不定形になるほど、
ヒビが入り易く、窯を開けた時、一番始めに確かめ、
胸をなでおろしたり、がっくりきたり。
器の比ではありません。
それに土を叩いて締めておかないと、
必ず反ります。彩色は、筆等による着彩ではなく、
土に直接顔料を練り込んであります。
色の深みが違うのが直接御覧になればお分かりに
なるとおもいます。顔料は5色だけを使い、
練りこむ割合でできた色土を更に混ぜ合わす事で、
変化をつけています。
しかも、色味は当初、土に吸い込まれてしまった
みたいに識別できません。ですから、ここには
なに色を配したなとの記憶を頼りにつくってゆきます。
目が不自由なのに絵を描いているような感じです。
焼き物は、他の表現手段のように、制作しながら
結果が見えず、最後の最後になって、やっと答えが
出る、意地悪な素材です。だからこそ、
時々奇跡を起こしてくれるのでしょうか。
20代は、油絵を描いていました。
その終わり頃には、絵の具の臭いが嫌いになっていました。
30代は休息?あるいは寄り道?をしていたような。40歳の時、兵庫県芦屋市より能登半島の柳田村へ突然移住。
都会育ちの私にとって、こちらでの生活はすべてが新鮮で、40にして生まれ代わったような気がして、独学で陶芸を始めました。
小さいものは箸置きから、大きなオブジェまで、夢中というより、暗中模索の中で
作りつづけた10年間でした。
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土、釉薬、顔料、そして1250度を越えるほどの炎。私にとっては絵の具よりずっと扱いにくく、最後まで結果の見えない
これらの素材は、大変だなと思う反面、
スリルがあり、引き込まれす。
今でも窯焚きの度にドキドキしますし、
祈りを捧げる私です。
E(絵)でもあり、Relief
(レリーフ)でもあり
又、そのどちらでもないような、耐水性もあり色も形も永遠に変わらない、陶造形作品。
私、中 十七波の想いから生まれた、
「合成語」です。