平成14年7月24日
 4月ころから、調べていた調査の一部について数値がやっとまとまった.犀川の有史以来の洪水量についてである.とはいっても、やはり、有史以来というのは難しかった.若干、方向修正し,過去100年間の最大の出水量を求めることにした.藩政時代は洪水量は当然ながら、降雨の記録も無いので説得力ある数値を決めがたい.明治以降は一部,降雨記録も残っている.明治7年(1874)に大きな洪水被害があったが、まだ、降雨記録は無かった.明治29年(1897)に豪雨があったが被害は比較的少なかったので洪水量そのものはあまり大きくなかったろう.その後、大正11年(1922)に犀川大橋が陥没破壊する洪水があったが、その時の金沢地方気象台の記録が残っているのでこれを参考に洪水量を推定した.戦後の大洪水は、昭和36年の第二室戸台風である.地元の古老から教えてもらった情報をもとに洪水量を推定した.昭和41年からは犀川ダム地点での測水が開始され、その後、下菊橋,内川ダム、浅野川導水路、辰巳ダム計画地点で測水されているので正確な出水量が把握できるようになった.平成10年9月の台風7号による洪水が大きな出水の一つである.20世紀の百年間に犀川大橋地点で毎秒900トン弱の洪水が3回あることがわかった.
 石川県が計画した百年確率の洪水は、犀川大橋地点で毎秒1920トンである.

 あまりにも差異が大きい.
 いずれにしてもこれは金沢市民にとって朗報である.治水をあずかる行政にとってもである.住民の生命と財産を守ることが任務である治水関係者にとって、現在の河川の安全度が予想していたよりも大きいということは何よりの朗報であろう.
 ということで、金沢市長と石川県土木部長に申し入れをすることにした.いずれも秘書課で適当に断られたので,治水の担当部署である、市と県の河川課へ申し入れをして、説明することにした.
 マスコミへのFAX案内は次の通り.→マスコミ関係各位殿

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辰巳ダム日誌(7月)
平成14年7月25日
 毎秒1920トンに対して毎秒1000トンに満たない出水量しかなかったのだから、大変、重要な知見であると思ったが、あるマスコミの人にすこし説明をしたがわかりにくい、難しいことのようだという指摘があった.やはり、辰巳ダムを前面に入れることにした.1600トンまでなら、辰巳ダムは不要になるということを付け加えた.

 金沢市の金沢記者クラブと石川県の県政記者クラブへ行ってあらかじめ、資料をばら撒いてきた.
 
平成14年7月26日(金)
 金沢市河川課説明     午前10時半
 石川県土木部河川課説明 午前11時
 県政記者クラブ説明   午前11時半
 金沢市河川課、石川県河川課への申し入れは次の通り→河川課長殿
【添付資料】
「犀川の有史以来の洪水量に関する調査」でまとめた資料(Gを除く)
@金沢における過去の主要な豪雨と洪水一覧表
A金沢の水害史
B第二室戸台風(昭和36年)の出水(過去の大出水量調査)
その2:マニング公式
C犀川および浅野川の一部の主な出水記録(石川県土木部河川課の協力による)
D第二室戸台風(昭和36年9月)と台風7号(平成10年9月)の降雨比較
E20世紀の100年間に発生した、犀川の主要な洪水流量
F高畠地区の浸水被害の検証
G過大な洪水量が決定された理由