平成14年7月26日
石川県土木部河川課長 殿
金沢市小立野3−12−28
中 登史紀(技術士)
犀川の治水に関する申入書
百年確率の洪水は、犀川大橋地点で毎秒1,000トンか!
県は毎秒1,920トンと主張するが?
毎秒1,600トン以下であれば、当然のことながら辰巳ダムは要らない!
「犀川の有史以来の洪水量に関する調査」結果について
調査の結果、二十世紀の百年間の最大洪水量(犀川大橋地点)は、900m3/s程度であり、誤差を考慮しても1000m3/sを超えていないだろう。
一方、石川県が百年確率の洪水量として算出した数値(犀川大橋地点)は、1,920m3/sである。調査の結果、明らかになった数値と比較して、1,920m3/秒は異常に大きい数値であるといわざるを得ない。筆者は以前から、「過大な洪水量が決定された理由」などの文書を根拠に、県が算出した数値に対して、「百年確率どころか,有史以来発生したことの無い洪水ではないか」と指摘してきた。この調査の結果を見ると、「有史以来」という指摘もあながち的外れではなかった。
50年確率の流量(内川ダム時点の犀川大橋地点流量1600m3/s)に対して、100年確率の流量(辰巳ダム時点の犀川大橋地点流量1920m3/s)は1.2倍である。この比率を単純に敷衍してみる。100年確率の流量を1000m3/sと仮定し、200年確率の流量は100年確率の流量1000m3/sの1.2倍の1200m3/s、400年確率の流量は、1200m3/sの1.2倍の1440m3/s、800年確率の流量は、1440m3/sの1.2倍の1728m3/s、1600年確率の流量は、1728m3/sの1.2倍の2074m3/sとなる。ほぼ、石川県が計画した1920m3/sに近い。1600年に1回の洪水ならば、ほぼ有史以来の洪水量と言っても間違いではないだろう。
前計画の犀川総合開発事業(内川ダム、昭和42年〜昭和49年)では、100年確率の犀川大橋地点の流量(基本高水)を1,600m3/sと見込んでおり、現計画の辰巳ダムがなくても安全であるとしていた。今回の調査で、前計画の1,600m3/sでも十分、安全であることが検証された。
今回、筆者が実際の出水量を調査した理由は、つぎのとおりである。県が行っている洪水解析は、あくまでも何らかの仮定に基づいて計算された架空の値であり、実際の降雨および出水量とはかならずしも一致しない。実際に、今までにどれほどの大きな出水があったのだろうか。県民の生命と財産を守るべき石川県がわかりやすい形でまとめておくべきものであったが、用意されていなかった。そこで、筆者は、石川県河川課の協力を得て、過去の最大の洪水を調べることにした。(有史以来の出水の痕跡も含めて調べるので、「犀川の有史以来の洪水量に関する調査」とした。)
@文献および気象台記録調査
まず、図書館等の蔵書で藩政時代からの洪水および金沢気象台の明治以来の記録を調べ、大きな豪雨と洪水の一覧を作成した。
A過去の大出水の手掛かり調査
石川県は昭和41年に犀川ダムで測水を始めたが、それ以前の出水については数的データはない。過去の大きな洪水の手掛かりを得るため、犀川流域、主として犀川上流部に住んでおられる住民の方に聞き取り調査を実施した。その情報に基づいて、現地での簡単な測量、おおよその流量を推定した。
B石川県が観測している犀川各地点の流量記録のまとめ
石川県土木部河川課は犀川の犀川ダム地点、内川ダム地点、下菊橋測水所地点、辰巳ダム計画地点、浅野川導水路地点で測水(水位を観測して流量を算定)している。犀川ダム地点の観測開始が最も古く(昭和41年1月〜)、それ以前のデータはない。観測データを所有しながら、県民にわかりやすく整理されていなかった。筆者のみならず、石川県担当者の関心事でもあったので、石川県河川課ダム建設室、ダム管理係の協力を得て調査しまとめた。
● 石川県が計測した洪水の記録で最大のケースは、「平成10年9月22日 台風7号」である。
● 記録が残っている以前の洪水で戦後の最も大きな出水は、「昭和36年9月16日第二室戸台風」のケースである。このときは、犀川大橋の上流約100mのところで堤防が決壊して大きな被害を出した。犀川ダム上流の倉谷で1時間雨量78mmを記録した。
● 戦前では、「大正11年8月3日(1922)の洪水」が金沢市の中心部に大きな被害をもたらした。犀川大橋が陥没破壊した。金沢地方気象台のデータによれば、4時間最大雨量109.1mmを記録した。
明治7年(1874)に大きな洪水被害の記録があるが、降雨の記録がないので洪水量を類推できなかった。さらに藩政時代に寛文8年(1668)、天明3年(1783)に大きな洪水の記録があるが、同様の理由で調査をあきらめた。
上記の3ケースが最も大きな出水あるいはこれに準ずるケースである。
● これに加えて、比較参考のため、「平成8年6月25日 梅雨前線による豪雨」をあげた。このときは、24時間最大雨量199mm(金沢地方気象台観測史上第2位)を記録した。下菊橋測水所での出水は、過去4番目の記録となっている。
各ケースでの犀川大橋地点での実際の推定出水量は、以下のとおりである。
● 大正11年8月3日 犀川大橋陥没破壊 772m3/秒
● 昭和36年9月16日 第二室戸台風 727±87m3/秒
● 平成10年9月22日 台風7号 842m3/秒
● 平成8年6月25日 梅雨前線
346m3/秒
少なくとも、明治7年(1874)の洪水以後、20世紀の100年間に犀川で発生した洪水量は、誤差を考慮しても1000m3/秒に満たないだろう。
石川県が100年確率として算定した計画値1920m3/秒とはあまりにも差異が大きい。これまで、筆者が県の計画の誤謬を指摘してきたが、その指摘が的を得ていたものといわざるを得ない。
以上
【添付資料】
「犀川の有史以来の洪水量に関する調査」でまとめた資料(Gを除く)
@金沢における過去の主要な豪雨と洪水一覧表
A金沢の水害史
B第二室戸台風(昭和36年)の出水(過去の大出水量調査)
C犀川および浅野川の一部の主な出水記録(石川県土木部河川課の協力による)
D第二室戸台風(昭和36年9月)と台風7号(平成10年9月)の降雨比較
E20世紀の100年間に発生した、犀川の主要な洪水流量
F高畠地区の浸水被害の検証
G過大な洪水量が決定された理由
H犀川の流域図
I犀川・浅野川基本高水流量
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