穴あきダムに関するレポートを読む! |
『世界』2014年1月号に「ガラパゴス化する日本の河川行政」というタイトルで、穴あきダムについて、まさのあつこ氏のレポートが掲載された。穴あきダムについて、推進論者の京都大学の角教授などから、世界各地の紹介や文献がつぎつぎと出されているが、このリポートは、当の角教授にも直接に取材もされているようでそのやり取りの中から、新たな知見と共に問題点も提示されている。まさの氏は土木の専門家ではないが、土木の知識も精通されているように拝見され、土木を専門とする当方の思考トレーニングに刺激になっている。 このリポートのうちの「ガラパゴス的進化を遂げた日本の穴あきダム」の項の中の「穴あきダムはダム管理の省力化のために生まれたものだ」について感想などを以下に記載する。当該部分のコピーを文末に掲載する。 穴あきダムは、「環境に優しい」という触れ込みで進められているが、実は、「ダム管理の省力化のために生まれたものだ」と指摘して、その根拠として、1986年の資料を示している。 この原文を確認した。論説として2頁の小文であり、関係した部分は短いので掲載すると以下のとおりである。 「、、、管理ダム数が増加すれば、当然ダムの管理体制も影響を受け、結果として管理の合理化・省力化が強く要請されることになる。 しかし、ダムは重要な河川管理施設であるから、合理化・省力化が行われるとしても、その結果として適正なダム管理が阻害されるものであってはならない。 このため、ダムの計画策定段階からダム管理の合理化・省力化が可能となるように配慮することが必要とされる。 中小の多目的ダムにおいて、孔あき坊主ダムと呼ばれるゲートを使用しない自然調節方式が採用されているのはこのような主旨に基づくものである。 孔あき坊主ダムでは、貯水池を常に空にして洪水調節容量を確保することとなるから利水面から見れば不利であり、有限なダム築造可能地点を最大限活用することが必要な我が国の水資源開発状況から見れば決して好ましいことではない。 しかし、中小ダムのように利水上の有利さの少ないダムでは、両者を勘案してダム管理を優先させることもダム事業全体から見ればまた同時に必要なことである。 このため、ある程度以上の規模のダムでは、貯水池の容量を効率的に活用するため洪水吐きはゲートを有する形式とするとともに管理設備を整備して、ダム管理の合理化・省力化を図ることになる。、、、」(「今,ダムが直面していること」藤本成(ふじもとせい)建設省土木研究所ダム部長、『土木技術資料28-10(1986)』p.507〜508、このコピーを文末に掲載。) 中小ダムの「孔あき坊主ダム」と称するものは、管理の合理化・省力化が理由で生まれたようである。ゲートの平常時のメンテナンス、非常時の操作対応などの困難さを考慮すれば、放流吐きに孔だけがあり、ゲートのないものが多々あることが、この論説からわかる。 ここで記述されている「孔あき坊主ダム」は、現在では、通称「穴あきダム」と言われている。「穴あきダム」とは、学術的な言葉として定義づけられたものではなく、洪水調節のための放流の口にゲートが無くて穴だけが開いている形式のダムの通称であり、2つの形式を包含している。 一つは、穴が堤体の中段にある形式のものである。穴の高さから下には水が貯留されている。 もう一つは、堤体の穴が河床と同じレベルにあるもので、雨が降っていない平常時には、水は貯留されていない。 後者が、狭義の意味の「穴あきダム」ということになろう。 狭義の意味の「穴あきダム」が、「環境に優しい」という触れ込みで、大中の治水専用ダムで採用されるようになってきた。湛水しないので水が汚れない、堆砂が少ない、穴が河床のレベルにあるので、生態系や流水の連続性が保たれるなどが、「環境に優しい」ということの理由にあげられている。 「環境に優しい」という実態は、2012年に出来た辰巳ダムの様子を見るかぎりでは疑わしい。 水を貯めないということは、従来型も穴あきダムも洪水調節ダム容量は平常時に空にするのは同じであり、水を貯めていないので水の汚れ云々は同じことで比較にならない。 土砂の堆積は、湛水したときに沈殿するので、穴あきダムでもやはり、堆積が進む。従来の貯水型とどの程度、違うのか、いまのところ不明である。 生態系の連続性については、ダム堤体での水の流れが複雑であり、魚道の様子を見ても魚が遡上している気配はない。 水流の連続性についても同様に水の流れが複雑で連続性があるとはいいがたい。ダム堤体直上流のダム湖および河道において、土砂の堆積、砂礫の停滞、流木や樹木の破片の堆積、植物残滓、粗大ごみや樹木の破片が散乱していることからも水流は連続していない。 論説の中の「ダムの計画策定段階からダム管理の合理化・省力化が可能となるように配慮する」については、辰巳ダムのような規模の穴あきダムではペンディングである。合理化・省力化でゲートなしで済むなら、いままでの治水ダムのゲートは不要だったということになりかねない。 辰巳ダムで穴あきダムとして採用した理由に、合理化・省力化ということがあげられているわけではないが、ゲートを付けない理由は、ゲート操作で洪水調節が難しい、あるいは出来ないためではないかと筆者は考えている。 辰巳ダムダム湖へ流入する水量の予測もできず、辰巳ダム下流の犀川にどれだけの水量が時間的にどう変化するのかも不確かな中で、辰巳ダム地点でのゲート操作をすることで10km下流の30分ほども要する懸案地点の洪水量調節を適切に実施することはほとんど不可能に近いことである。氾濫した場合には適切な操作を行わなかったということで責任を問われ、人災ということになる可能性もある。ゲート操作ができないのである。 今回の感想はここまで。 【参考】 「今,ダムが直面していること」藤本成(ふじもとせい)建設省土木研究所ダム部長、『土木技術資料28-10(1986)』p.507〜508 『世界』2014年1月号に「ガラパゴス化する日本の河川行政」の「ガラパゴス的進化を遂げた日本の穴あきダム」
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