浅野川放水路という「切り札」を切り損なった!
――つきつめると、
浅野川洪水の原因は辰巳ダムだ。――

 
 浅野川洪水は200年に1回の降雨による想定外の洪水であり防止できなかったのは仕方がないことだと言われている。これは本当だろうか。浅野川では、平成20年(2008)水害からさかのぼること55年前の昭和28年(1953)に大きな洪水があり、これを契機に河川整備がなされた。平成20年7月の浅野川洪水の前には浅野川の治水はほぼ完成していたと判断され、事業が行われていたものの住民が川と親しむための親水工事が主であった。昭和28年に起きた大洪水を上回ることがあっても田上の浅野川放水路を通じて洪水を犀川へ流すことができるので安全であると考えられていた。

浅野川の洪水対策の切り札は「浅野川放水路」だった。この切り札を切ったにもかかわらず無駄だったのか、あるいはこれを切り損なったのだろうか。石川県は切り損なったどころか、浅野川放水路は現時点で最大限の機能に発揮して被害を最小限に抑えたと考えているようであり、おそらく石川県民のほとんどはそう思っているだろう。

平成20年の水害が発生した当時、浅野川の洪水の一部を犀川へ放流するための浅野川放水路(田上地点)の入口のゲートは途中まで降ろしてあり、全開ではなかった。もし、全開してあれば、田上から分水されて浅野川の中流への洪水量は著しく低減し、浅野川大橋付近のピーク洪水位が1メートル近くも低下したであろうし、洪水被害は限定的なものにとどまっただろうことは想像に難くない。

浅野川放水路についての石川県の説明はおおよそつぎのようなものである。
浅野川放水路のゲートが途中まで降ろして能力の6割に絞ってあったのは犀川の河川整備が途上であり、やむ得ないのであり、もし開放して全量を流せば犀川下流で洪水被害もでかねない状態であった。犀川の上流で辰巳ダムが建設中であるがこれが完成して、現在進行中の下流の整備が完了すれば犀川も安全になる。そうなれば浅野川放水路のゲートが全開できて浅野川も安全になる。浅野川と犀川とは一体的な整備をしている。

この説明はほとんど誤っている。@浅野川放水路が全開していない理由は放流先の犀川が整備途上であるとことが理由になっているが、浅野川放水路からの放流量毎秒250立方メートルの負担分は内川ダムの築造で解消しているのでゲートを全開しても犀川への負担はゼロである。したがって全開できる。ただ、全開しなかったのは、浅野川放水路が完成した昭和49年当時、犀川中流部で河川整備の工事中であり、これに配慮して放水を制限したものだ。(その制限の程度を決めた根拠文書を公開請求したが文書としては残っていない。)A下流で溢れる恐れがあったというが、犀川大橋地点のピークで毎秒400立方メートルを少し超える程度であり、ゲート全開して毎秒100立方メートル程度増えてもほとんど影響ないくらいであり、さらに犀川本川のピークは時間的に早く発生しており、浅野川放水路からのピークは遅れて発生しており重ならないので犀川のピークが大きくならない。十分に安全に流せたのである。B辰巳ダムが完成していなかったから、犀川への負担をかけることができず、浅野川放水路のゲートを絞らざるを得なかったように説明するようであるが、浅野川放水路と内川ダムがセットで浅野川と犀川の洪水対策が行われたのは、昭和42年度から昭和49年度にかけて実施された「犀川総合開発事業(第2次)」であり、辰巳ダムのたの字もなかった。浅野川放水路と辰巳ダムは何の関係もないのである。C下流の整備が遅れたために全開できなかった理由になっているがそうではない。昭和47年度から昭和53年度にかけて犀川の中流部の河川改修が行われた。川の中央部を掘り下げた。これを終えて、昭和54年度から犀川下流部の改修工事を始めた。石川県は約200億円ほどの費用がかかると見積もったが、石川県河川当局が注力してやれば20年ほどでできたはずである。昭和74年ころつまり平成11年ころには完成して心おきなく、ゲートを全開できたのである。D浅野川と犀川の一体的な整備というのは、浅野川の洪水を犀川へ受け入れることによって浅野川の洪水対策をしようということで、「犀川総合開発事業(第2次)」のことである。浅野川の上流に治水ダムの適地がないので犀川の支流に代わりとなるダムを造ることによって浅野川の洪水対策をするということで一体的な整備が唱えられたのである。一方、辰巳ダムは犀川の治水のためであり、浅野川の治水とは関係はなく、一体的な整備ではない。

浅野川放水路という切り札のゲートを全開にできなかったのは、浅野川はぼぼ完成したと判断したが犀川は整備の途上であるということで負担を軽減しようと配慮したためであろう。その配慮も「犀川総合開発事業(第2次)」の方針通りに、犀川中流、つぎに犀川下流と整備を完成しておれば、心おきなく切り札がいつでも切れる状態になっていたのである。

この途中で、「犀川総合開発事業(辰巳ダム)」(昭和58年度事業採択)が割り込み、にわかにおかしくなったのである。内川ダムを完成させた翌年の昭和50年から調査を始め、辰巳ダムの建設に注力するようになった。下流の整備は遅々として進まず、辰巳ダムの方に重点が移った。堤防工事よりもダム工事の方が補助金がつきやすいなどの補助金行政の理由、大きな事業費に住民や関係業者の期待が高まったこと、この政治的な集団の圧力もともない、辰巳ダムの方へ重点が移ったのである。辰巳ダムに拘泥したために、犀川下流の整備は遅れ、平成24年現在も途上であり、浅野川放水路のゲートの全開もできなかったのである。

結論が、「辰巳ダムが浅野川水害の原因だ!」である。
あなたは、石川県の言い分が正しいと思いますか、それとも、水害の責めをおうべきは折角の「切り札」を切り損なった石川県だと思いますか。
2012.2.1,naka

 

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