東京都水道歴史館への訪問
期日:平成14年1月31日
場所:文京区本郷二丁目7番1号、JR中央線「御茶ノ水駅」下車徒歩約10分
、順天堂大学の裏あたり 電話:03-5802-9040
休館日:年末年始のみ
開館時間:午前9時半〜午後4時半
入館料:無料
国土の7割弱は山林である日本は、国内ではどこでも容易に安定的に水を手に入れることができる。とよあしはらの瑞穂の国である。ところが、秀吉に関東行きを命ぜられた家康の最初の仕事の一つが水道を造ることであった。井戸を掘っても塩水や飲料が不適当な水しか得られなかったからである。
この歴史館では、江戸と東京の水道の歴史が一目瞭然に理解することができる。一階は明治以降の東京の水道の歴史、二階は江戸の水道の歴史がわかる。3階は水道関係の資料を閲覧できる部屋となっている。
「歴史館」を訪ねるとまず、入り口に面した通りに複数の江戸の水道に関する図を焼き付けた陶板が配置してある。
江戸の水売り
江戸の上水井戸
江戸の長屋の台所
水売りは「水屋」ともいい、山の手の清水から涌き出た冷水を運び、水売りを商売とするものも出現した。水の入った細長い天秤棒の両端につけ、下町を中心に売り歩いた。田舎から江戸へ出てきた人が、江戸では水を売っても商売になる、さすがは江戸だと驚いたという話である。もっとすごいことに、すでに水道システムが作られていた。上流の清流から引かれた水道が城下の武家屋敷のみならず、町方の家庭まで届いていた。長屋の一角に上水井戸があり、共同で使用していた。各家では上水井戸から水を汲み、水瓶か水桶にためて生活に利用した。
上水道のシステム
長屋と上水井戸の実物大模型
上水井戸と木樋を竹樋でつないだ例
徳川家康が江戸入府と同時に小石川上水を造らせた。その後、神田上水に発展する。増大する水需要をまかなうため、多摩川の羽村に取水堰を造り、十里を超える大規模な玉川上水を築造した。羽村から四谷大木戸までは開水路、そこから下流は石や木でつくられた樋を地中に埋め、配水された。お茶の水付近では、神田川を横断するために懸樋(かけひ)が造られた。
羽村の取水堰
神田上水懸樋
上水の使用料金は「水銀」といわれた。「水銀」は武家方からは石高割、町方からは小間割(間口の長さ)で徴収された。ちなみに、定額制で年間の使用料金は、
【町方】 小間一間につき → 十六文
【武家方】 百石より十万石まで百石につき → 銀三分三厘
という記録がある。