アメシロその後10(2003.12.17作成)
金沢市の意見公募農薬被害者の「公募意見」
(中 登史紀記)健康な人は毒性物質に対してある程度、抵抗力がある。少々、農薬を浴びてもすぐに病気になるわけではない。ところが、農薬類似の化学物質を低濃度であっても長期間、曝露されて一旦、体内の調節機能が失われると逆に反応するようになる。これも自分を守ろうとする一種の調節機能だろう。悪環境を感じてすぐに危険を回避することを体に知らせるのであろう。それはいいが、こうなるとそれまでの日常生活を継続できなくなる。多くの人はこの状況を理解できない。
人は忍耐強い?人の痛みはいくらでも我慢できる? 少なくとも、そんな行政にしてはならない!

【農薬被害者の意見】アメリカシロヒトリ及びチャドクガの防除について

私は化学物質過敏症(正しくは化学物質に耐性のなくなる、化学物質の不耐症と医者に言われてます)という病気です。

一般にシックハウス症候群の重症例と言われる化学物質過敏症ですが、国立公衆衛生院の調査で成人だけでも推定70万人の患者がいると言われてます。この病気は化学物質汚染が自分の周りにあると症状が出ますが、化学物質汚染が自分の周囲からなくなると症状も消え、元気に過ごせます。症状は呼吸困難や中枢神経機能障害などですが微量の化学物質(特に農薬)に急性に反応し出現します。

私がこの病気になった原因はある日、突然、激しいめまい、頭痛、吐き気、記憶喪失、意識障害など、農薬(殺虫剤)中毒の症状が出た事にあります。被爆した場所ははっきりは判っていません。それまでは健康でした。

三年九カ月かけて中毒症状が消失しかけたところで、入れかわるように化学物質過敏症が悪化しました。私は築三十数年の父の社宅に住んでいましたが、ゴキブリ駆除のくん煙剤等が近所から自宅へ飛んで来て、呼吸困難を起こし、そこに居られなくなりました。

丁度その頃、中古の一戸建てを両親が買い、化学物質過敏症に対応している専門業者に頼み、無農薬・無化学物質の建材で一つずつ大丈夫な物を選びリフォームして出来上がったので、そちらに住む事にしました。

しかし、ある日、突然、急性症状が出現し、もしやと、母が表に見に行くと、隣家との境の鉄柵にからませて育てられた花に農薬が撒かれたところでした。近所では度々、他にも周り五軒位で園芸に農薬を使用していました。

そこにいては呼吸困難になるので家を出ました。家を出て私は住む所を何十件も探しましたが、有害な新建材(この病気の一番の原因と言われるホルムアルデヒドは新建材に使われる他、以前は畑に使用した登録失効農薬。劇物指定。)や害虫駆除、隣近所の花に使用される農薬被爆で病状が悪化し、更に有害化学物質に弱くなった為に、呼吸困難になって住める家は見つかりません。

車の材料には有害化学物質が使われていますし、野宿するしかありません。しかし変な男が近寄ってきたり、寒さで一睡も眠れません。また通行人に変な目で見られて通報されたり、公衆トイレで身体を洗ったりもしました。

辛いので、近所に病気で農薬が命に関わる事、住める所が他になく、野宿している現状を話しました。しかし理解は得られず、近所の人達がお互いを呼びに行き、取り囲まれ「引っ越せ!」「農薬は撒けば撒く程、良い花が咲く。」「薔薇を引っこ抜けと言うのか!」(こちらはそんな事は言っていません。命がかかってるのですが)と、言われました。

その三日後の事です。野宿による徹夜続きでフラフラして具合が悪く、これ以上寝ないのは危険と考え、迷いましたが帰宅しました。家では、残留する農薬で苦しい症状がでる中で我慢をして寝ていました。すると突然、また農薬が撒かれました。慌てて逃げ、数十メートル離れた所で倒れ、頭痛、吐き気、めまい、呼吸困難、認識の異常、身体が硬直し動かない等の症状がでました。

救急車を呼ぶ騒ぎになりましたが、化学物質満載の救急車には乗れません。診察できる医者もほとんどいなくて、おまけに病院は殺虫剤で害虫駆除が行われている事が多いのです。ただ我慢するしかありません。このような状況でも、寝る場所がなく夜になっても帰る所はありません。野宿は続きました。

この日を境に、屋外にいても街路樹や排水溝、学校、公園、空き地、団地や民家の植木、線路などに反応し、逃げても逃げても呼吸困難を起こすようになりました。医者はおそらく農薬によるものだろうと言いました。逃げ場がどんどんなくなり、呼吸困難を起こさずにいられる場所はついになくなりました。例え、農薬を使用していない場所があっても、付近からの拡散があり呼吸は出来ません。酸素ボンベを使っても、気道は狭く、わずかに身体に入った酸素も、利用する事が出来ずに、そのまま静脈に戻ってきてしまう事が検査で判っています。薬も体質に合わず無理でした。

その当時(現在も実質的には。他は問題があり)日本で唯1カ所、定員2名の環境制御された施設に緊急入院しました。しかし、期間は最大5日までで、しかも緊急入院は通常認めていません。患者も私だけではありません。入院費用も払い続ける事ができる額ではありません。そして、そこを出るとまた、呼吸困難を起こす状態に戻ってしまいます。

現在もまだ家に帰ることが出来ません。ただ、農薬から逃げて回る生活です。どうぞ、患者に配慮を願います。化学農薬は使用しないでください。農薬中毒も化学物質過敏症も誰もがなる可能性があります。新たな犠牲者を出さないでください。

市外・20代・女性・匿名希望(個人のプライバシーに関わる為)・

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