シリアだより(観光地編)
シリアだより(観光地編)
ダマスカスとアレッポの旧市街、ボスラとパルミラの遺跡の4つが世界遺産に登録されているのでこの4個所を押さえておけば、シリア通になれます。
ダマスカス(Damascus)
ノアの箱船のノアの息子の名前がシャムで、シャムはダマスカスの古い名前だそうです。ユーフラテスの大洪水で生き延びた子孫がダマスカスに来たのではないかと想像させる話です。紀元前2000年からの歴史を持つといいますから、4000年の歴史をもつこの街にふさわしいエピソードです。
センサスでは約145万人だそうですが、不法居住地の人口を含めると240万人、周辺を含めた首都圏で400万人くらいが集中しているそうです。
旧市街(十字軍の時代に周囲に城壁が築かれ、ところどころに石造の大きなゲートがある。そして、旧市街はローマ時代の痕跡を残すため、他のアラブの街作りとは異なり直交する街路が多いとのことです。)、旧市街の中はほとんどスーク(市場)になっており、その中にウマイヤド・モスク(ローマ時代の神殿の一部を取り壊してヨハネ教会となっていたものを708年にモスクに改築したもの)やアゼム宮殿などがある。スークは、御徒町のアメ横みたいな感じで人でごったがえしている。日用品を売っている店がほとんどで周辺の国からも買い出しに来るらしい。モスクや宮殿周辺は観光客用の土産物屋や貴金属などをうる店が並んでいる。狭い石畳の道を人込みにも係わらず、大小の車が行き来している。スズキの軽4がやたら目に付く。
多くの文明といってもマリやウガリットなどの時代はとこもかく、紀元前後からもギリシャ、ローマ、ビザンチン、アラブと多くの時代の痕跡を残すので、よく理解しないと頭が混乱する。国立博物館にでかけたが、フランス語とアラビア語の案内のうえ、時代も数千年に渡り、壷やら彫刻やらモザイク壁画やらやたらとあり、結局、よくわからないということでした。しかし、中国などとの交流で陶磁器などの模様や形にその交流の一部が表現されているのではないかとかってに想像しましたが、その辺の知識がとぼしいため、すごすごと帰ってきたしだいです。
とにかく、レバノン山脈の降水に恵まれたフィジェ泉に発するバラダ川という豊富な水源があったため、世界最古の都市の一つがここに誕生したようです。
アレッポ(Aleppo)
ダマスカスから北に350km。北部最大の都市でダマスカスに次ぐ第2のゲートウェイです。東西交易路上の重要な位置を占めていてダマスカスとは競合関係にあった。伝説上紀元前3000年以来の歴史をもつ都市である。町の中心部にアレッポ城がある。アブラハムがアレッポ城のある丘の上で乳を搾ったという伝説がある。紀元前10世紀には、ヒッタイトのアクロポリスがあり、ヘレニズム時代はハダット神の神殿があり、モスクが完成したのは1213年だそうです。北シリアの重要な要塞として十字軍を撃退した歴史がある。周囲2.5kmの大きさ。周囲より50m高くなっているため、城からの眺望はすばらしいが、聞き取り調査など時間を消費して眺望の機会を逸した。
スーク(ダマスカスのものに比べ、住民の生活用との感が強いとのこと。ロシアから買い出しにくる連中が多いとのこと。物価は周辺に比べて安いため。12km以上もの長さのある天蓋のついたスークとして有名)が有名だが、これも行きそびれた。多くのキャラバンサライ(隊商宿)、大モスク、国立博物館等が有名。市内の人口は150万人(1994)。
パルミラ(Palmyra)
ヨルダンのぺトラとともに日本人観光客に人気の遺跡である。中東3大遺跡ペトラ、パルミラ、バールベックのひとつである。オリエンタルな文化とギリシャ・ローマの融合が興味深く、地下墳墓をつくっていたため、現在も発掘で新たな発見が続く。日本からの発掘チームも複数、活動を続けている。
ダマスカスの北東約240km。シリア砂漠中央に位置するオアシス都市。中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの隊商都市のひとつである。今から2000年前のシルクロードの中継点として急速に発展した。ペルシャと西ローマ帝国を結ぶ交易の中心地として繁栄したゼノビア女王の世界最大級の広大な遺跡である。セノビア女王の豪華絢爛な宮廷生活もローマ帝国の反抗により征服され、歴史からその姿を消した。現在のタウンの人口は5万人であるが、1時、Kingdomで100万人の規模であったという。
遺跡の広さ500haと大きい。紀元前後に建てられたベル神殿、ゼノビア宮殿、ローマ円形劇場、アラブ城跡等の遺跡が散在している。750本もの柱が1kmにもわたり並んでいたといわれる列柱通りで有名。
ボスラ(Bosra)
ダマスカスの南145km。ジョルダンの国境近く。
歴史遺産でありながら、保存状態がよく、現在も使用可能なローマの円形劇場がある。まわりはアラブの城と堀となっている。15,000人収容のステージとして活用される。現在もフェスティバル等で使用している。北島三郎がここに来て歌ったといううわさ?もある。