シリアだより(はじめに)

シリアだより(はじめに)

マルハバ(Marhaba=Hello、この国の公用語はアラビア語です。)
当地、シリアへ来て約1週間が経ちました。ということで便りをだそうとホテルからパソコン通信をつなごうとしましたが失敗しました。結局、日本へ着いてからまとめて送ることにしました。このほか、概要編、イスラム編、風土編、食べ物編、観光地編、その他とあります。

ダマスカスでの滞在は、5つ星のホテル、メリディアンに6週間、滞在しました。他に2つのJICAスタディチームの連中などもいて長期滞在の日本人が目立っていました。ホテルの支配人から日本人用に日本語の避難通路の案内をしたいと問い合わせを受けた団員もいたそうです。
ジンバブエのときと同様、快適なホテル生活です。窓からそとを眺めると、ダマスカスの市街地が広がっています。オレンジ色の瓦屋根をもつ石造の家、コンクリート造りのビル、モスクの丸く尖った屋根や塔が雑然と立ち並んでいます。その向こうには、世界で初めて殺人が行われたというカシオン山(聖書にそんなことが書いてあるのだそうです。)の乾燥した茶褐色の地膚をさらしているのが見えます。
ダマスカスはオマイヤド王朝がここを拠点に栄えたときに大きく発展した町とのことです。この王朝は、もともと南のサウジアラビアに中央があり、その出先だったそうでそれが大きくなったとのこと、4,5世紀ころらしい。十字軍が進入したときにオマイヤド宮殿を中心とした旧市街は、その一部に砦を築き、その周囲を石造の塀で囲ったとのことです。7,8個所の石造の門が残っています。町は、旧市街を中心に大きく発展し、シリアの首都圏として240万人近い人口が集中しています。国全体の人口が1400万人ほどですから、2割弱の人口が集まっており、日本の東京といったところです。この国は、最近、年率3.3%くらいで人口が増えています。20年で2倍くらいのスピードです。老人が一人も死なないと仮定して、半分が20歳以下ということです。実際は、15歳以下が人口の半分を占めているそうです。日本の明治、大正、昭和にかけて人口が急増したころと同じようです。
4月19日に着いたのですが、気候は寒くもなく暑くもないといったところでした。このころが、年中でも一番過しやすい時期のようです。夏は40度を超し、冬は零下になるとのことです。
ところで正式国名は、シリア?アラブ共和国といい、アラブ人の国であり、大半がイスラム教徒です。社会主義体制の共和国ですが、徐々に経済の自由化政策を進めているようです。大統領はアサド(Hafez al-Assad)です。
シリアの位置は、北緯32〜37度で日本と同じくらいの緯度です。一部、地中海に接しているほかは、大陸が続いていますので、年間を通じて寒暖の差(熱くなったり、寒くなったり)が激しいようです。面積は、185千平方キロメートルで日本の約半分です。南北および東西方向の最大距離はともに約500km(金沢―東京が約600km)である。国土は、森林3%、耕地約32%、原野や放牧地45%、20%荒れ地や砂漠といったところです。
地中海の東端に位置しており、北はトルコ、西はイラク、南はヨルダンとイスラエル、西はレバノンと地中海に接しています。文明の発祥で有名なユーフラテス川は、北に位置するトルコから流れ込み、東北部を斜めに横切り、西のイラクへ流下しています。
このような地理的条件から、シリアは"文明の十字路"、"西洋と東洋の結節点"ともいわれます。6000年以上の歴史があり、ローマにはローマ時代、ギリシャにはギリシャ時代の歴史しかないが、ここには何でもある、いつの時代の歴史もあるのだそうです。世界各国から発掘調査隊が訪れ、ある年には60以上のチームが入り込んでいるとのこと、当然、日本からのチームも多く来ているそうです。また、ダマスカスはシルクロードの西端の都市だそうです。
シルクロードの東端のそのまた、海を超えた外れから、縁があってシルクロードの西端に来たなどと考えてみると感慨無量の感じがします。今は分明の利器で、東京からパリまで1万キロを12時間半、パリからダマスカスまで3000キロを4時間半でくることができますが、その昔は半年くらいかかったのではないでしょうか(道のりを7000キロとして、1日40キロをラクダか馬で移動すると約半年になる)。シルクロードによる交易が盛んだったころ、日本から"竹と紙で作った扇"が大量に輸出されたという話を聞いたことがありますが、今、滞在しているホテルのレストランにも大きな扇が飾ってあります。
安全と治安は著しく、よいようで、ものが盗まれるということはほとんどないようです。通常、ディナーはホテル周辺にあるレストランへでかけるが襲われることはほとんどなく、聞いたこともないとのことである。回教国では、ものを盗むと腕を切り落とされらしいのでそれが一つの理由かもしれません?。また、建前は、イスラエルとの準戦時下体制にあり、とくに治安維持については厳しい監視体制がしかれており、治安当局や軍関係者が要所で警戒にあたっているうえ、私服警官がたくさん配置されていることですから、それも一つの理由でしょう。どうも監視されていると考えると気になりますが、特別に警備してもらっていると考えれば有り難いものです。
休日は、金曜日です。回教の関係でしょう。ユダヤ教徒やキリスト教徒が経営する店は、それぞれ土曜、日曜が閉店となります。官庁(入管など)の執務時間は午前8時から午後2時。商店の開店は午前9時から午後2時、および午後5時から午後7時ぐらいとなっています。我がチームの勤務時間は、8時半にホテルをでかけ、2時30分まで仕事をして昼食をとり、その後はホテルに帰り、仕事や私事をするのが日課です。
昼食は、近くのアラビアのレストランにでかけます。ホブスと呼ばれるアラビア風のパンに焼いた肉をくるんで食べます。ホブスは、小麦粉の練ったものを薄く、丸くひろげ、直径が30センチくらいになったものを焼いたものです。肉は、羊肉のぶつ切りを鉄の串にさして炭火で焼いたもので、ケバブあるいはシャコフあるいはシシャリクといいます。ミンチ肉にしたものを鉄の串にまいて焼いたものはケフタといいます。ケバブに塩と胡椒をまぶしてホブスでくるんで食べるのはなかなかおいしいもので気に入りました。1人前、100シリアポンド(300円くらい、多分、外人価格)です。また、ホンモスというペースト状のもの(ひよこ豆をすりつぶしオリーブ油をまぜたものらしい)をホブスにつけて食べるのもなかなかいける。塩味というかオリーブ油のうまみというか、パンの味とあって毎日食べても食べ飽きない。歴史のあるところは食文化も歴史に醸成されているといったところでしょうか。ケニアやジンバブエでは、何を食っても味がもう一つで、うまくないと思ったが、やはり歴史という調味料がかけていたのでしょう。団員の一人は、いや、そうではなく、アフリカは味盲のイギリス人が統治したからだと強調していました。ちなみにここは、フランスが委任統治国でした。エアフランスが幅を利かせています。
というようなことでとりとめもなく、書き連ねました。
ハートラック(Goodby)

平成9年6月1日 ダマスカスあらため東京にて
 

 

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