審議会が審議機関ではなく、行政の追認機関になる理由

(犀川水系河川整備検討委員会)

 河川法第16条の規定によれば、「都道府県知事は、河川整備基本方針を定めようとする場合において、当該都道府県知事が統括する都道府県に都道府県河川審議会が置かれているときは、あらかじめ、当該都道府県河川審議会の意見を聴かなければならない。」とされている。しかし、石川県では河川審議会が審議会が置かれていないので法律上は意見を聴かなくてもよい。犀川の場合は重要性、県民の関心度が高いことなどが考えられるため、表記の委員会が設置された。設置要綱第1条によれば、「委員会は、基本方針について意見を調整し、河川管理者に助言する。」ことになっている。

(河川計画専門部会)

 委員会委員はさまざまな分野、機関からの代表者であり、河川工学の専門というわけではない。犀川の河川整備基本方針を議論する前提として、治水に関する基本事項(洪水量など)について河川工学の立場から議論するための小委員会として、「河川計画専門部会」が設置された。河川工学専門の先生が4名、土質工学の先生が1名である。石川県治水担当者の技術的な説明対して部会委員が意見を述べた。公開で2回、開催された。最初の部会で全体の説明がなされ、委員が技術的問題点を指摘し、次回にこの回答がなされ、県の案がそのまま妥当と了承された。

(傍聴者の勘違い)

 県が提案した計画洪水量が現実に発生した洪水と著しく異なり、県の解析は問題があると、筆者(傍聴者)は「意見書」で指摘した。この点について、かなりきわどい議論になるのではないかと予測したが、全くあてがはずれた。検討過程の一つ、一つがそれなりの妥当性があれば、最終的に出た結果が、どのような突飛なものでも問題にならなかった。それぞれの段階での複数の判断はそれなりに妥当であることが多い。けれどこれを積み重ねた結果がとんでもない、非現実的な結論となることがある。この非現実的な結論を指摘したのであるが、全く無視された。振り返って考えて見れば、技術を審議する部会も行政と同じ手法を踏んでいる。手続きあるいは過程を一つ、一つ踏んだ上で決まったことは、仮に現実に役に立たないことが明白になったとしても決定が正当であるとみなされる。(筆者の独り言:技術はそんなもんじゃない、役に立たないものは技術ではない。)

(助言機関の様子の一端)

 この委員会は、設置要綱にあるように、「助言する」機関であり、行政のチェック機関ではなかった。
 部会長は述べる。
「基本高水流量というのは河川行政が決めることでその前に本委員会の議論がたぶんあるはずですので、、、、」
 計画洪水量(基本高水流量)は行政判断で決めてくださいよ、その行政判断のもととなる技術判断についてはアドバイスをしますよ、というわけである。
 そして、途中の段階の技術的問題に関して、
「そういったところをよく整理していただいてもしそういうデータをバックとして持っていたら、我々としても計画論としてはRsa(飽和雨量)100mmぐらいは妥当ではないんじゃないかという判断でよろしいでしょうか。」
という調子である。平均値ですか、まあまあいいでしょう、特に、問題がなければ、説明を求められたときのためにデータを用意しておくとよいでしょう、ということになる。
データを見ると30-190mmくらいにばらついており、どれくらいの数値をとるかによって計画洪水量は1,200m3/s〜2,000m3/sまで変化する。すべての方針がひっくり返るくらいの幅があるが、大した議論にならない。
基本高水を決める時は棄却した後の最大値を取ったという説明であったが、ここではなぜ、最大値(安全側)を取らないで平均値を取るのか、よくわからない。

(限界)

 部会委員にとっても、当事者ではなく、いきなり、大量の資料をもらってザッと目を通して助言を求められても、思いつき程度の答えしかできないだろう。無理な話である。結局は行政の応援団とならざるをえない。

「金沢の洪水」へもどる

「金沢の水問題を考えるコーナー」へもどる

「トップページ」へもどる