金沢洪水える 24
by Toshiki NAKA



原発が新潟・福井豪雨の原因か?(その1)
――なぜ新潟福井に降って石川富山に降らなかったのか?――

問題提起1:原発から排出する膨大な熱が気象に影響を与えないはずはない!
 生活の利便を高めるために現代の我々は大量の電力を消費している。真夏でもクーラーで快適な生活が営めるようになった。便利になった反面、当然、マイナス面もあるはずである。エネルギーの大量消費に伴う、膨大な廃熱のツケが今回の豪雨ではないのか?
問題提起2:学識経験者はデータをもとに科学的な思考にもとづいた発言すべき
 降雨は地域特性を持った、固有の現象であり、ほかの地域の降雨と比較してもあまり意味はない。いわゆる一般論である。単に、金沢に福井や新潟と同じ豪雨が降ったらと心配しても何の役にも立たない。感情論である。少なくとも、何らかの情報をもとに科学的な思考にもとづいた議論するのが、専門家を含めた学識経験者のつとめであろう。

(石川県公共事業評価監視委員会の議論)
 平成16年度石川県公共事業評価監視委員会の議論で、「新潟福井のような豪雨があったら、金沢はどうなるのか、金沢にもこのような豪雨がいつあってもおかしくない」という議論があった。逆に、「なぜ新潟福井に降って石川富山に降らなかったのか」という議論があってもいい。

(新潟と福井の雨は同じ雨)
 このようなことをふと考えたのは、新潟と福井の豪雨は別の雨ではなくて同じものであるということを知ったからである。気象庁予報部牧原康隆主任予報官によると(週刊朝日7/30)おおよそつぎのとおりである。(参考資料-1)
今回の新潟、福井の豪雨は、梅雨末期に時々起こる現象であり、前線が停滞し、何らかの刺激を受け豪雨が発生したものである。今年は、日本周辺の高気圧の関係で、前線が例年より、少し北にずれ、北陸上空で停滞した。これに、日本海からの暖かい湿った空気が吹き寄せ、前線を刺激して大雨が発生した。

(過去の類似例)
 過去の豪雨を調べる内に、40年前の昭和39年7月にも似た現象が起きたことがわかった。今回の豪雨と同様の地域で大きな雨をもたらした。新潟では、刈谷田川の上流で270mmの雨があり、決壊した。福井では足羽川の本川の九頭竜川で370mmの降雨があり、支川の足羽川では増水により、毘沙門橋、天神橋が流失した。この時の豪雨では、金沢でも7月7-9日、17-19日と降雨が続き、17から19日にかけて48時間雨量277mmを記録した。(参考資料-2, 参考資料-3

(今回の雨の特徴)
 昭和39年7月豪雨に比較して今回の豪雨の特徴は、
 @石川富山の雨がすくなかったこと、
 A短時間に強い雨が降ったこと、
である。新潟の刈谷田川の上流の栃尾では24時間で421mm、福井の美山では12時間で283mmを記録した。美山の場合、時間雨量が96mmにも達した。当時の新潟、福井の記録を持ち合わせていないので、参考に金沢の記録と比較する。昭和39年7月の金沢の記録では、48時間277mm、24時間249mm、時間31mmである。時間雨量で3倍も異なり、今回の福井豪雨は短時間に強い雨であったことがわかる。(参考資料-3. 参考資料-4

(強い雨をもたらす上昇気流を発達させる原因は都市の廃熱)
 今回、この雨が石川富山に降らなくて新潟福井に降った。それも今回は、短時間に強い雨が降った。このことから、強い雨をもたらす上昇気流を発達させるための何らかの要因が強く働いたことが推測される。上昇気流を発達させる要因は熱である。40年前との大きな違いは、都市からの廃熱、つまり車や各家庭および事業所からの膨大な廃熱である。これらは、局地的な豪雨に影響を与えていることは推測できるが、4県でほぼ同じ条件とすれば、今回の現象を説明する要因にならない。

(新潟福井と石川富山の違いは)
 それでは、ほかの要因で大きな違いは何か。ふと、原発に思いあたった。新潟柏崎、福井の若狭湾にそれぞれ、7基、13基の原発群がある。以前に何かの記事で「新潟の原発群ができて、今まで海岸に近いところでは雪が少なかったが、最近は雪が多くなったような気がする。」とあるのを見たことがある。原発は巨大な熱発生機関であり、電力に変換されるのは2/3程度で、1/3程度は廃熱で放出される(志賀原発の例を北陸電力に問い合わせ中)。(参考資料-6)膨大な熱の放出が地域の気象に影響を与えないはずはない。福井の原発は大阪、新潟の原発は東京への供給源であり、熱発生源として考えると、福井は小大阪、新潟は小東京という都会を抱えていることになる。(参考資料-5)

(原発群からの膨大な廃熱)
 『原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識』広瀬隆ほか、によれば、「原発の温排水は海水の温度を7℃程度上昇させて排出される。新潟柏崎刈羽では566t/秒、福井では778t/秒、ともに信濃川の年平均流量513t/秒を超える温排水を大量に放出している。温度差7度とは、長崎と小樽の年平均の海水温度の差に等しい。」とある。長崎というと、思い起こさせるのは、1982年7月23日の長崎豪雨で時間雨量187mm(長与町)の日本記録である。

(原発の廃熱の影響は?)
 地域の海水温の上昇は、湿った暖かい空気を大量に発生させ、豪雨をもたらす上昇気流の発達に大きな影響を与える。原発の廃熱が今回の豪雨に影響を与えていることは間違いない。ただ、どの程度の影響があるのか、今回の豪雨に及ぼした影響はどの程度であるのか、科学的な解明が必要である。

参考
(参考資料-1)
「今回の集中豪雨は実は梅雨末期に起きる典型的なものです。梅雨前線が停滞しているところへ暖かく湿った空気が大量に運ぶ雨風が吹き続け、降雨をもたらす。2日ほど前から、大雨の可能性があると呼びかけていたのですが、予想していたのは200ミリ程度でした。一部で記録された400ミリというのはまったくの予想外。このタイプの大雨は予想できないほどの降雨量があるというのも特徴なんです。豪雨による水死者がでたのは近年珍しいことで分析を急いでいます。」気象庁予報部、牧原康隆主任予報官(週刊朝日7/30)

(参考資料-2)
国会の委員会議事録より
第046回国会 災害対策特別委員会 第14号 昭和三十九年七月十四日(火曜日)
本日の会議に付した案件
 理事の辞任及び補欠選任災害対策に関する件(
 新潟地震による災害対策等)
     ――――◇―――――
○中山委員長 これより会議を開きます。
 災害対策に関する件について調査を進めます。
 まず、先般来北陸地方に起きました集中豪雨による被害状況及び災害対策の実施状況等について、関係当局より説明を求めます。建設省河川局長。
○上田説明員 お手元に配りました「七月七−十三日の梅雨前線豪雨による被害状況」というのをごらんいただきたいと思います。
 七月七日に梅雨前線が南下してまいりまして、朝鮮の上で台風が弱まりましてそして熱帯性低気圧になったわけでございますが、それが東進いたしますと同時にその梅雨前線を非常に刺激いたしまして非常な豪雨を降らしたようなわけでございます。最初は新潟県に降りました。それがさらに新潟、長野、その付近に降りまして、それがさらに南下いたしまして福井県に相当降らしたわけでございます。
 まず新潟県下では、先ほど陳情がありました刈谷田川と破間川の上流、ちょうど只見川のところでございますが、その付近のところに集中的に降りまして、大体二百七十ミリぐらいの雨が降っております。それから南下いたしまして福井県に降ったわけでございますが、その量は、大体福井県の南部の山岳地帯に降っておりまして、九頭竜川の上流でございますが、その付近に三百七十ミリ、九頭竜川も本川のほうとそれから支川のほうとございますが、支川の日野川の上流に同量の雨が大体降っております。そういうことによって被害が生じてきたわけでございます。
 おもな出水でございますが、直轄河川で申し上げますと、一番水が出ましたのは九頭竜川でございます。これは計画高水位を上回りました水が出ました。これは二センチ上回っております。その次に直轄河川として出ましたのは、手取川が出ております。これは警戒水位以上二メートル五十、ただし計画高水位からは二メートル下がりの水でございますが、そういう水が出ております。そのほか阿賀野川、信濃川、これはいずれも警戒水位の上一メートルぐらいの水が出ております。
 いま申し上げましたのは、直轄施行の大きな川でございますが、先ほど申しました雨量の多いところから発しております支川に水が出まして、その支川が相当はんらんを起こしております。
 直轄災害でまず一番大きいのは九頭竜川でございますが、九頭竜川そのものは、堤防が破堤というほどの大きいものはあまりございませんでしたが、しかし堤防の決壊だとか、それから護岸の根が洗われたり、また水制の損傷を起こしたり、そういうような災害がございまして、直轄災害としては、全部といたしまして大体五億七千万ばかり。それから、これに伴って直轄の道路が、これは先ほど申しました準用河川の分の被害による道路損害も入っておりますが、とにかく直轄道路のほうでは、八号線とか十九号線、十七号線、こういったような道路が被害を受けております。それで、直轄全体といたしまして六億二千五百万円の被害を受けております。
 次に補助災害でございますが、補助災害では、やはり一番大きな災害を受けましたのが新潟県でございまして、これには刈谷田川が、先ほど御陳情がございましたとおり、栃尾市、それから見附市、この付近で非常なはんらんをいたしまして、特に見附市の今町の付近において堤防をこわしまして、そうして下流のほうにも大きく流れて大きな湛水地をつくってしまいました。そのほか、旧信濃川、これが地震で沈下したところを応急復旧をしておりましたところ、それの上を幾ぶん越えまして、そうして七十町歩くらいでございますが、湛水をいたしました。しかし、これはポンプで排水をいたしましたので、現在ではもう全然水はございません。
 そういうふうに北陸並びに東北の各県に災害を起こしておりまして、全部で百六億ばかりになります。直轄と合わせまして百十三億ばかりの災害を生じております。
 それで、応急対策としてでございますが、建設省といたしましては、被害状況の調査並びに応急復旧工事の指導のために、新潟県、福井県、石川県に対しまして、それぞれ災害査定官を派遣いたしました。そうして目下査定官が行ってまだ指導をしておるところもございますが、一部は帰ってきております。なお、必要に応じて緊急査定を今後実施いたしまして、早急に予備費の支出をお願いしたいと思っております。
 それから住宅滅失者に対する復旧対策といたしましては、住宅金融公庫による個人住宅災害特別貸し付けを行なう予定でございます。
 以上のような措置を考えまして、今後被害がわかり次第、対策を立てていきたいと思っております。
 以上でございます。
○中山委員長 警察庁後藤警備第二課長。
○後藤説明員 御報告申し上げます。
 今回の災害は二回にわたっておるわけでございます。第一回は、七月の六日の夕刻から七月の九日にかけまして降りました集中豪雨によります災害でございます。それから第二回目の災害は、七月の十一日から十二日にかけまして、第一回の豪雨によりまして被害を受けた地方に相当な集中豪雨があったわけでございましてその災害が起こったのでございます。
 第一回目の七月六日の夕刻から七月九日にかけました災害は、北陸、東北、中部、各地方の一部でございますが、ここに集中豪雨がございまして、新潟県をはじめといたしまして八県下に被害が発生したのでございます。その状況は、人の被害は、新潟県におきまして死者が六名、岐阜県におきまして一名、計七名の死者を出しております。それから行くえ不明は、新潟県において四名、岐阜県において三名、福井県において一名、福島県において一名、合計九名でございます。負傷者は新潟県に十一名を出しております。建物の被害は、全壊いたしましたものが、新潟県で四むね、長野県で二むね、計六むね、半壊が新潟で四十三むね、長野が一むね、福井が一むねでございまして、合計四十五むねでございます。それから流失いたしましたものが新潟県下におきまして六むねでございます。床上浸水は、新潟県が一番多うございまして、これが千三百七十七むねでございます。それから石川県の八百十二むね、福井県の三百四十七むねというようなものを主といたしまして、合計いたしますと二千六百九十七むねの床上浸水でございました。床下浸水は、同様に新潟が一番激しゅうございまして、八千五百四十二むね、石川県の三千八百六十むね、福井県の三千二百七十七等を主にいたしまして、合計一万七千百六十八むねの床下浸水でございました。それから一部破損いたしましたもの、あるいは納屋などの、人の住んでおりませんいわゆる非住家の被害がかなり出ております。それから田畑の冠水等もかなりございました。道路の決壊いたしましたものが、新潟県において二百四十六カ所等を主にいたしまして、合計いたしますと四百三十二カ所でございます。橋梁の流失いたしましたものが、同様に新潟の八十九というのを主にいたしまして、合計百三十六の橋梁の流失を見ております。堤防の決壊は、新潟県におきまして百九十一カ所を主にいたしまして、合計二百六十七カ所でございました。山くずれ、あるいはがけくずれがございましたのが、新潟の二百二十三カ所をはじめといたしまして、合計三百八十四カ所出しております。罹災世帯の数は、石川県が一番多うございまして四千八百六十五、新潟が千五百八十三、その他を合計いたしますと七千二百四十七世帯、三万三千百三十四人の罹災者を出しております。
 それから、このうちでおもな被害の状況でございますが、栃尾市では、刈谷田川及び西谷川の堤防が決壊いたしましたために、七月七日の夜、約三千戸が浸水いたしまして、市民千七百名が市内の学校あるいは神社等に避難をいたしております。それから見附市におきましては、同様、七日の夜半に刈谷田川の堤防が決壊いたしましたために、今町、本町、名木野町等の住家が、床上浸水三百七十三、床下浸水六百一というような被害を出しております。それから南蒲原郡中之島村の被害も、同様、刈谷田川の堤防の決壊によりまして、床上、床下浸水をかなり出しております。それから新潟市内は、地震のために堤防が決壊し、これを仮締め切り工事をしておったわけでございますが、この信濃川沿岸の白山浦あるいは関屋新町、川岸町、万代町等の各町に対しまして、信濃川の増水による溢水あるいは漏水のために浸水いたしまして、床上四百六、床下千五百九十六むねの被害を出しております。
 それから石川県では、金沢市では、七月八日、犀川、浅野川の堤防が決壊いたしましたために、これまた床上浸水二百九十八むね、床下浸水二千七十九むねの被害を出しております。それから河北郡津幡町、これもやはり同様八日の津幡川の増水はんらんによりまして、床上浸水二百八十三、床下浸水五百六十むねの被害を出しております。それから加賀市、これは低地帯に湛水をいたしましたために、床上浸水百七むね、床下浸水四百九十一むねの被害を出しております。
 それから福井県下におきましては、福井市内で、荒川用水路が増水はんらんをいたしましたために、床上、床下浸水の被害を出しております。
 鉄道の関係では、羽越本線の越後早川−桑川間が、降雨による土砂くずれによりまして七日午前十時まで不通になったのをはじめといたしまして、信越線、上越線、越後線、米坂線、越美北線等が不通となりましたが、いずれもこれは七月十日の朝までには復旧をいたしております。
 それから建設省から御報告がありましたように、道路の関係でも、一級国道をはじめ、かなりの被害を出しております。
 それから第二回目のほうの被害でございますが、これは十一日から十二日にかけまして集中豪雨があったわけでございます。その雨量は六十ミリないし百ミリといわれておりますが、ただいま申し上げました第一回の罹災地のほうに主として降りましたために災害が大きくなったのでございます。
 県別に申しますと、人の被害では、新潟県におきまして負傷が二名でございます。人の被害はこれだけでございます。それから建物のほうは、全壊いたしたものが、宮城県の三むねをはじめといたしまして、合計五むね出しております。半壊が新潟の四むねでございます。それから床上浸水は、新潟の五百九十を最高といたしまして、合計六百七十二むね、床下浸水は、新潟の二千九百十八むねを最高といたしまして、合計三千七百十一むねでございます。田畑の冠水もかなり出ております。道路の損壊あるいは橋梁の流失等も出ており、がけくずれ、山くずれも出ております。罹災世帯数は、新潟の六百十四、山形の五十六をはじめといたしまして、合計七百世帯、三千百八十一名の罹災者を出したのであります。
 これらに対しましては、第一回におきましては延べ約九千名、第二回の災害におきまして千六百名の警察官を動員いたしまして、孤立部落の救護あるいは罹災者の救出等の警察活動を行なったのでございます。
○中山委員長 以上をもちまして政府当局からの説明は終わりました。
    ―――――――――――――
以下、省略。

(参考資料-3)
 昭和39年7月7-9、17-19日の降雨記録(金沢気象台、医王山測候所)
 
(参考資料-4)
 平成16年7月新潟・福島豪雨と福井豪雨の降雨記録

(参考資料-5)
 柏崎刈羽原子力、7基、821万kW(1985-1997)
 福井県美浜/高浜/大飯/敦賀、13基、1128万kW(1970-1993)
志賀原発の例を北陸電力に問い合わせ中


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