徳島新聞への投稿ボツ原稿!
   住民投票でなければ、「河口堰の是非」を判断できない!

                                                                      


                                                                        金沢市在住
                                                                     技術士中 登史紀

「河口堰の是非」について住民投票を行うべきかを争点に徳島市議会選挙が行われ、住民投票をしようという意見を持つ議員が過半数を占める結果となった。すんなり、住民投票に向かって進むと思いきや、様々な事情があるのか、スローダウンしたように見える。徳島から離れた北陸に住むものにとってその事情はわからない。

小冊子『吉野川第十堰―治水対策と歴史的文化遺産との共存は可能か―』を作成し、その中で、「第十堰を歴史的土木文化遺産と捉え後世に残そうとするか否かを判断するのは、地元の県民・市民の判断である」主旨のこと述べた手前、最近の国や徳島県等の発言が気になるので、一言もの申したい。

つい先日も関谷建設大臣が「住民投票が、事業の是非を決めるのになじむものかどうか」と疑問をなげかけた。「このことこそ、住民投票にかけるべきであり、住民投票でなければ判断できない」という主張を以下に述べたい。(議会の議決を経ることで事足れりとするか、議会が住民の意見を適切に反映していないので住民投票で決めないといけないかについてここで言及するつもりはない。)

この河口堰の問題は、本質的に2つの問題に分けられ、分けることによって問題が明確になる。一つは文化財を守るということ(第十堰の保存)、もう一つは自然環境を守るということ(河口堰という手段を採用しない)である。

(その1) 文化財を守る
第十堰を単なる老朽化した構造物と見るか、歴史的土木文化遺産として見るかについての学術的判断は別として、この遺産を後世に残そうとすれば、何がしか、治水の障害となり、治水安全度をあげるための費用が高くつくという予想はできる。残すか否かを判断できるのは、増高を含めた費用を負担する市民・県民しかいない。したがって、住民投票はその意志を問う方法である。

(その2) 自然環境を守る
河口堰は、周辺の自然環境を大改変する手段である。これを避けて自然環境への影響が少ない方法を採用するべきと制約をつけるとすると、この場合も何がしか、治水安全度をあげるための費用が高くつくことは予想できる。この手段を採用するか否かを判断できるのは、この増高分を含めた費用を負担する市民・県民しかいない。特にこの河口堰の主目的は、治水であり、治水の安全度をあげるためには、ほかにさまざまな手段がある。「河口堰はダメ」という条件をつけても、治水計画上、問題は少ないだろう。

 これらの両方をたてようとすると、つまり、文化財も守り、自然環境も守ると制約が多くなるので、治水安全度をあげる場合の費用が高くなることが予想される。それでも文化財を守り、自然を守ることにするのか、市民・県民は判断しなければならない。そのための判断材料を、建設省は提供するべきだろう。

 住民に判断を仰ぐのは、あくまでも、文化財を守り、自然環境を守ることを要求すれば、それが何らかの障害になり、治水安全度をあげるためには費用が高くつく、それでもその費用を負担しますかということを問うのである。もし、仮に文化財を守り、自然環境を守ることができる上に、さらに治水安全度をあげるという手段があり、それが河口堰案よりも、安価であれば、住民投票にかける必要のないことは当然である。その安価な方法をとればよい。

 その安価な方法があるにもかかわらず、行政が強引に進めようとしている、税金が無駄に使用される上、文化財が壊され、自然環境が破壊される、これを阻止するために住民投票で決着をつけるというようなことについては、十分な情報もなく、言及しない。

 総合的な判断が必要な治水計画そのものを住民投票にかけるのはなじまないであろう。しかし、単なる手段の一つにしか過ぎない河口堰の採否、あるいは第十堰を残すか否かを住民投票にかけるのは、大いに意義のあることである。これらは、一つ一つの条件にしか過ぎない。治水を検討する上で住民の意思を取り入れた条件を組み込めば良いだけのことである。

 筆者の住む石川県の梯川でも類似例があった。河川改修で川幅を広げるための障害となった小松天満宮が現在位置自体に由緒があると移転に同意しなかったため、結局は、川の方を迂回させた。天満宮の上流で川が二手に分かれて下流で再び合流する。天満宮は浮島として、橋を架けて連絡することにした。費用の増高はあったが、移転しなければ、治水安全度を保てないというわけではなく、小松天満宮をその位置に残すという条件で治水計画をすればよいだけのことである。コストの増高は負担するものが納得して負担すればよいだけである。


 

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