第1回土曜環境ミニフォーラム「環境にやさしい石川をつくろう」

自然環境の修復―都市から砂漠まで―
講師:大阪府立大学大学院 農学生命科学研究科緑地保全学研究室 夏原由博
日時:2001/11/24 pm2〜4:30
場所:石川県文教会館3F会議室

略歴など:
 講師の専門は緑地保全研究学であるが、自然の保護ばかりではなく開発も研究。環境指標の研究、ビオトープづくり、生態マップづくり、里山の活用、中央アジアでの砂漠の緑化の研究など。
                  
内容: 
 日常の人々の生活と地球環境の危機(温暖化、砂漠化、森林消失、生物多様性の消失、、、)はつながっている。けれど、直接は見えず、重要性はわかりにくい。最近、自然との共生ということを盛んに強調されるようになったけれども、「どうでもいい」ような無名の生物との共生といわれてもよくわからない。そんなことを強調しなかった今までは、例えば人と稲(もともと、熱帯地方の一部に繁殖していた単なる雑草)は数千年来、共生してきた。「どうでもいい」無名の生物へのつけが人間にもまわってきた。
 一つの例が「アラル海の悲劇」である。中央アジアのカザフスタン共和国にあるアラル海は、世界で4番目に広い海(6.8万km2、九州と四国をあわせたくらい)だった。天山山脈に源を発する、2本の大きな川が流れ込むだけで出口はない。水は蒸発してなくなる。流入と流出はバランスしていた。20種類くらいの魚がいて、小規模に漁業が行われていた。周辺は砂漠地帯であった。1950年代にソビエトが2つの河川の水を利用して大規模に灌漑農地を開発した。そのため、2つの大河川からアラル海へ流入する水量は激減した。漁業に影響があることは予想したが、予想しなかった大規模な被害(漁業壊滅、生態系破壊、農業荒廃、健康被害)が発生した。現時点で水面が半減した。塩分濃度が1−2%から3%程度にあがった。漁業が壊滅した。干上がった湖底の塩分を含んだ砂が風によって移動、流動砂丘となって住居をおそった。農地は乾燥地のため、水をまくと毛管現象で上がってきた水が地表で蒸発し、塩分だけが地表に残る塩害が起こった。表面が塩分で真っ白になる。日本の田圃のように水をはって塩分を溶かし流してやればよいが、それだけの水がない。蒸発量が大きい。作物は穫れず、耕作地は放棄された。農薬や重金属、放射性物質を含んだ砂嵐が原因ではないかと疑われている子供の貧血が多発した。
生態系を修復するために、砂漠の緑化の試みが行われている。アカザの木(枝ばかりで葉がない)を植え、まわりにアシで風よけをつくる。演者はペリカンが住めるような環境、餌となる魚がいて、営巣のために広いよし原がいるような環境を拡大させることによって生態系を修復しようとしている。

砂漠化
 砂漠化とは、乾燥地における土地の劣化をいう。森林伐採や過放牧、かんがい農業の失敗などによって、植生が破壊され砂漠化が進行している。国連環境計画(UNEP)の調査(1997)によれば、乾燥地における人為的要因別の土壌劣化面積(極乾燥地は除く)は、
乾燥地面積 5169万km2(51.69億ヘクタール)
うち土壌劣化面積 1035万km2(10.35億ヘクタール、20%)
過放牧 477.1 46%
樹木過伐採 209.7 20%
過開墾 111.5 11%
不適切な土壌・水管理 235.0 23%
その他 1.9 0.2%
小計 1035.2 100%
である。乾燥地域における人為的要因による土壌劣化面積は10.35億ヘクタールで、乾燥地域全体の20%を占めている。

日本の禿げ山
 日本は乾燥地ではないので砂漠化とはいわないが、はげ山化は土壌の劣化という点で同じ現象である。日本では樹木過伐採による土壌劣化があった。古代と17世紀ころに大きな危機を経験した。平安、奈良時代のころ、都の宮殿や仏閣を造営するために近隣の山から大量の木材を伐りだした。近畿地方の山は裸になった。田の上山などは今にいたるまでその影響が残っている。16,17世紀ころには、城や町の普請のため、大量の木を伐採した。農業生産が増えたので里山から誰も彼もが樹木を取り出した。1haの田を養うためには5〜6haの山の落ち葉などの養分が必要であると言われている。はげ山は明治初期まで続いていた。花崗岩地帯(神戸の六甲山など、幕末に来日した外人が山に雪が積もっていると勘違いした。)や丘陵地の粘土と砂礫が交互に重なっているところなどは、土壌が流されやすく、はげ山になりやすい。森林の生態系は一度、破壊されると回復しにくい。100年200ねんかかる。一方、海の干潟は、開放形であり、つながっているので比較的、早く回復する。
 自然から過剰な略奪が人間の生存をおびやかす。自然の賢い利用のためには自然をよく理解する必要がある。

都市の自然を修復
復元型ビオトープ:学校ビオトープ、鶴見緑地の中の田畑。
谷津田のカスミサンショウウオ繁殖池の復元:わき水があり、浅く、8月ころまで水があるところで繁殖していた。昔は田圃でも繁殖した。ところが、農業の方法がかわり、5月の末には田の水を抜いてしまうようになり、繁殖しにくくなった。そのために、人工的に繁殖できるような池を造った。
南港野鳥園:人工的な干潟の自然修復の例。池が深く、カモは多く来たが、干潟を好むシギ・チドリは少なかった。池を改造して外海とつなぎ、浅くして干潟を作った。その結果、シギ・チドリが多く飛来するようになった。

感想: 
 技術者は構造物を設計築造することは熱心で得意であるが、自然環境について考えることは苦手であることが多い。動物や植物に影響すると言っても、住民が豊かにくらすためにはしょうがないことであると簡単に考える。何か大変困ることがあるのかよくわからない。
開発がもたらした「アラル海の悲劇」が印象に残った。環境に配慮しない開発がどれほどの被害をもたらすかの典型例である。日本では旧の共産国ほど、国家権力が強大ではなく民意を無視しえないこともあり、これほどの極端な例はないが、それでもひどいと考えられる例が山積している。開発する技術の進歩や巨大化を考えると、これにたずさわる技術者も幅広い知識を習得することにより自然環境を理解し、技術適用による変化を予測し、住民全体に利益が還元されるような公平さを念頭に倫理をみがき、無駄に自然を改変することがないように努めるべきと考えた。

平成13年11月25日
中 登史紀


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