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この小冊子を作成した意図について
私の職業は土木技術者である。なかでも私は下水道部門を専門としており、ダムのような構造物に関しては門外漢である。ところが、平成6年以来、「辰巳ダム」の土木技術的問題について議論を続けている。私が居を構えている石川県金沢市街地の近郊に辰巳ダム建設が計画されており、身近な巨大土木構造物に対する技術的関心のためである。石川県が作成した「ダム計画説明書」を吟味する内、ダムは水瓶としての意味は認めるものの、治水の役割を果たさないばかりか、洪水調節用のダムは論理的に"誤謬"であると考えるようになった。そこで『治水ダムは役に立たない』という、一般向けの冊子をまとめようと考えてきた。しかし、このテーマで土木技術的な論拠を示して「治水ダムの無効」を立証するには労力・能力ともに手に余る仕事であった。さらに、このテーマに関して、すでに多くの文献により、ダムのマイナス面が指摘され、土木技術的、環境技術的な面から見直しがなされるようになってきた。その折り、この本を紹介されて読み終えたとき、私が拙劣な冊子をまとめるよりも、"これを紹介すれば治水のため役に立つのではないか"と頭に浮かんだ。巨大土木技術信仰あるいはダム信仰に近い感情を持つ、多くの土木技術者あるいは一般の人たちの啓蒙のために役に立つだろう!
『砂漠のキャデラック』は、アメリカの水開発政策全般にわたる壮大な内容となっており、必ずしも、「治水」と「ダム」に焦点を絞っているわけではなく、また、土木技術的な面から治水のため役に立たないことを立証している技術専門書でもない。しかし、河川を分断してせき止めるダムの本質的な欠陥をズバリと指摘している。ダムは未来の人たちに富を与え続ける遺産であることは幻想であり、逆にダムは負の遺産であることが的確に説明されており、アメリカがダム建設を止めるようになった理由を知ることができる。
特に『砂漠のキャデラック』の中で私が着目したのは、米国陸軍工兵隊が当初、
―「貯水池ダムは洪水のため役に立たない」と言っていたが、
―「貯水池ダムは洪水のため役に立つ」に変わり、
―ミシシッピ川の洪水で再び、元のように「役に立つどころか、逆に洪水被害を拡大させる場合もある」というようなダムの認識の変化である。米国流のダム築造技術を導入してきたわが国は、当然ながら、重大な関心を寄せるべき変化である。
多くの示唆に富む『砂漠のキャデラック』であるが何分にも大著であり、一般不特定多数の方に紹介するには無理がある。その上、米国人や地名などの固有名詞が多く、これらの固有名詞から想像が働きにくい日本人読者にとって、この本を読破することはかなり根気のいる仕事である。そのため、私はこの本の内容を紹介した小冊子が必要と考えたわけである。この小冊子は、私流の解釈であり、原著のほんの一端を紹介しているにすぎないことは言うまでもない。是非、多くの人に原著をお読みいただいきたいと考えている。
この小冊子は、ダムの反対運動に携わっている人々あるいは疑問を持つ人々が一般の関心の少ない人々に語り掛けるときの資料としても活用できるだろう。
なお、この小冊子は、築地書館(発行者:土井二郎氏)、翻訳者(片岡夏実氏)の助言をいただき、書誌紹介という形で作成をしたものである。そして、仲介の労を取ってくださいました「相模川キャンプインシンポジウム」の金尾憲一さんに謝意を表するものである。
平成12年5月20日 中 登史紀
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はじめに
『砂漠のキャデラック』は、アメリカの水開発政策の問題点を総括した著作であり、アメリカ水開発政策転換の一つのきっかけともなったと言われる。また、環境問題を扱った書物としては、レーチェルカーソンの『沈黙の春』に匹敵する書とも評される。
「キャデラック」とは米国の高級車のことをさし、富の象徴という意味をもつ。それとは逆に「砂漠」は富とは無縁の不毛の環境を表す。不毛の地であった砂漠に豪邸が建ち並び、駐車場にはキャデラックが納まる。アメリカ水開発政策の問題点の象徴を「砂漠のキャデラック」に例えたものであろう。わが国に当てはめてみれば、「過疎地のダム御殿」と言ったところだろう。
筆者の拙劣な説明を加えるよりも、主として抜粋を紹介しながら著者の意図を端的に伝えることにする。ただし、原著を読破しようと試みる人は、この紹介文を読まないことを薦める。なぜならば、推理小説の"種明かし"を最初から読むようなものであるからである。
この著作を私なりの視点でまとめてみる。
大規模な水開発が実行され、不毛の砂漠が農地に変わり、大都会が誕生した(アメリカの水開発(20数万のダムが造られた))。アメリカの西部は東部と異なり、降雨量が著しく少なく、砂漠地帯である。このような自然環境で生活するには、まず水開発が求められる(アメリカの西部)。従来、人々が大河川をせき止めて水を利用するなどと言うことは想像もできなかったが、コロラド川をせき止めてフーバーダムを造りロサンゼルスなどに水を供給するなどの大規模水開発に成功した(フーバー・ダム)。この成功を機に大規模なダムを築造するための仕組みと執行機関が成長した(開墾局と陸軍工兵隊)。こうしてダムは次々と誕生し、水開発によるダム技術神話が作られた。さらに、貯水池ダムは洪水調節目的として造られるようになる。(洪水調節のためのダム)。大規模な水開発は、不思議なことにダムを造っても造っても水は不足する(水不足)。その理由は公共事業だからである。ダム建設という公共事業は無制限に公金を消費し続ける(公共事業)。どんなことでも解決してくれるという技術神話があり、ティートン・ダムのような悲劇もおきる(技術の盲信)。ダムの決壊が生じると、ダム神話が崩壊する(ダム神話の崩壊)。アメリカには水開発政策の転換のためにカーターとレーガンというリーダーがいた(政治リーダー(カーターとレーガン))。川の流れをせき止めるダムはいずれ砂に埋まって機能しなくなる。一時は大河川をコントロールできたかのように見えたが、結局は限度を超えた、ある状態を平衡状態に保とうとする闘いは、公金を際限なく出費し続けるという、勝ち目のない抵抗であり、放棄せざるを得なくなる。砂浜の水際に作った砂の城がいずれ、波に流され、崩壊するという必然的な結果である(結論)。
アメリカの水開発(20数万のダムが造られた)
二十世紀中にアメリカで20数万のダムが建設された。そのため、不毛の砂漠が農地や都市に変わり、その富によって大いに繁栄したかに見えた。しかし、著者のマーク・ライスナーは、未来人につぎのように語らせる。
どこか他の惑星から来た考古学者が地球文明の遺跡を詳しく調査したら、地球人の神殿はダムだったという結論に達してもおかしくはない。計り知れぬほど巨大でこの上なく最新の注意を払って造られたわれらのダムは、他のいかなる建築物よりも永く残るであろう。超高層ビルよりも、大聖堂よりも、橋よりも、原子力発電所よりも。朽ち果てようとするニューヨークの街路を森が埋めつくし、廃墟と化したエンパイアステート・ビルが崩れていく時にも、フーバー・ダムはコロラド川に、今と変わらぬ威容のまま静かに鎮座しているだろう。
ダムの耐久性には異星の考古学者は単に感心するだけであろうが、その数の多さには、畏敬の念すら持つことだろう。二〇世紀中に、アメリカだけでも二十数万というダムが建設されている。溜め池や養魚場を造るために沢や小川に土で築いた堰を別にすれば五万ほどが残る。これが土木の専門用語で言う「大規模事業」である。大規模事業といっても、ほとんどは大したものではない。……残りの二、三千が本当に大きなダムで、その建設思想は想像を絶するものである。これらのダムは我々の祖先が手なずけることは決してできないと思っていた川―コロンビア川、テネシー川、サクラメント川、スネーク川、サバナ川、レッド川、コロラド川―をせき止めた。あるものは六〇階建てビルの高さに匹敵し、あるものは長さ六キロ半におよぶ。使われるコンクリートの量は、州間道路を端から端まで舗装するに十分なものだ。
このようなダムこそが、考古学者を驚かせ、そして考え込ませるものである。彼らは、このようなものを造りすぎた無理が祟って滅亡したのだろうか?この文明が崩壊したのは、これらが砂に埋もれてしまった時なのだろうか?なぜこんなにも多く造らねばならぬという思いに駆られたのだろうか?なぜミズーリ川とその主な支流に六〇も造ったのか?なぜテネシー川に二五もあるのか?スタニスロー川の、シエラ・ネバダから海までの短い流れに一四も造ったのはなぜか? (p.119)
ダム建設につぐダム建設へと駆り立てたものは何であったのだろう。
アメリカの西部
アメリカの西部の自然条件は東部と違い、降雨が極めて少なく、大半の地域が砂漠である。
ノースダコタ、サウスダコタ、ネブラスカ、カンザスの各州を二分し、テキサス州のアビリーンを通る西経一〇〇度線は、アメリカを対照的な二つの地域に分けている。年間少なくとも五〇〇ミリの降水量がある地域と、おおむねそれを下回る地域の二つに。降水量が五〇〇ミリを下回る地域は、天水だけに頼る農業には厳しい。そして降水量二〇〇ミリ以下の地域、たとえばフェニックス、エルパソ、リノなどは、人間の住むところではないかもしれない。そこではすべてが、人間が水を操作することで成り立っている。ダムで水を集め、貯水し、コンクリートの水路を数百キロのかなたまで送ることで。そのために一世紀半にわたって救世主のような努力が続けられたからこそ、今私たちが知るような西部があるのだ。(『砂漠のキャデラック』p.4)
西部では、貯水池ダムがないと人が住むことができないのである。
西部では、水がないことがあらゆる存在の前提であり、すべての文化や価値は水がないことを中心にして育ってきた。東部では、水を「無駄にする」といえば、必要もないのにあるいは必要以上に使うことを指す。西部では、水を無駄にするというのは、水を使わないことだ。貯水も取水もされずに川を流れていってしまうことが、浪費なのだ。……・・水を使うことは、言うまでもなく「有効」利用なのだ。東部人にとって、水の「保護」とは普通、開発から川を守ることを意味する。西部では、ダムを造るという意味だ。(『砂漠のキャデラック』p.13)
西部では、無論、水のこととなると論理や理性が物事の成り立ちの中にまともに入っていたためしがない。砂漠の心を持つ半砂漠の中に文明を維持していくからには、そこには常に、砂漠をもっと文明化していきたいという願望がある。それは、食欲、睡眠よく、性欲などにきわめて近い、有史以前に遡る本能なのだ。本能であるならば、これからも続くことだろう。(『砂漠のキャデラック』p.15)
その結果、数え切れないほどのダムが造られた。
フーバー・ダム
土木技術の進歩により、従来は手に負えなかった大河川の開発も可能になった。コロラド川をせき止め、フーバー・ダムが造られた。フーバー・ダムの水は、灌漑や発電に利用され、ロサンゼルスなどの諸都市の住民の生活用水を賄った。ロサンゼルスは年間降雨量が200ミリ以下の砂漠であり、フーバー・ダムの水がなければ住むことはできない。のみならず、公園や緑地の樹木もまた、この水に依存している。
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コロラド川は………世界初の真の巨大ダムはこの川に造られたのだ。そしてそれは、コロンビア川、ボルガ川、パラナ川、ニジェール川、ナイル川、ザンベジ川――世界の大河のほとんどにダムを造る自信を技術者に与えた。そのダムは大恐慌のどん底に出現し、アメリカ人の心を捉えた。それが生み出す電力は、艦船や航空機の生産に貢献して第二次世界大戦を勝利に導き、その水は食料生産に役立った。………
大いなる期待の時代――何でもできると思われていた、希望の花開く五十年――はフーバー・ダムに始まったともいえよう。(『砂漠のキャデラック』p.138)
開墾局と陸軍工兵隊
ダム築造を担当する、主たる執行機関は、「開墾局(Bureau
of Reclamation)」と「米国陸軍工兵隊(The
United States Army Corps of Engineers)」である。内務省の下にある「開墾局」はわが国の「農林省(構造改善局)」に相当し、「米国陸軍工兵隊(公共事業部門)」は同じくわが国の「建設省」に相当する。
ローズベルトは開墾局を巨大官庁に成長させた。
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一九三三年、ローズベルトが大統領に就任したとき、……・恐ろしいほどの失業者を本当に減らすことができる唯一の方法は公共事業、つまり橋、道路、トンネルの建設であった。そしてダムの。……・・開墾局は…・・二千ないし三千人規模から開墾局は急成長し、ローズベルトが死去する頃には二万人近い職員を抱える巨大官庁となっていた。(『砂漠のキャデラック』p.166)
米国陸軍工兵隊の公共事業部門も開墾局と対抗する巨大な官庁となった。
合衆国陸軍の施設兵科である工兵隊は、独立戦争のさなか、大陸会議軍にいた技術者の集団がバンカーヒルに胸壁を築いた時に産声を上げた。一七九四年、工兵隊は正式に現在の名を授けられ、公共事業と軍事任務の二部門に分けられた。公共事業部門は、後にもう一方をはるかにしのぐ大きさになるが、つつましく川や港から流木、沈船などを撤去することから始まり、時たまちょっとした浚渫も行った。また、初期には国土の探検、調査の役割も果たした。
工兵隊の偉大な業務――そして歴史上もっとも成功した官僚機構への変化――は、一九世紀の終わり、アメリカの最大級の河川をはしけや時には喫水の深い船が通れるように改修するという任務を引き受けた時に始まる。同時に工兵隊は、洪水調節に自らの任務を見いだした。それは初め、堤防と土手を築くことで達成された。長年にわたり工兵隊は、貯水池によって洪水を調節できることを否定していたが、その後洪水貯留池の建設も行うようになった。その六〇年間に六〇〇などという建設ペースには、もっとも野心的な専制君主もただ圧倒されるだけだろう。(『砂漠のキャデラック』p.196)
洪水調節のためのダム
開墾局は灌漑目的でダムを建設した。米国陸軍工兵隊は、当初、貯水池ダムが洪水を調節できることを否定していたが、上述のような理由で洪水調節のダムを建設するようになった。2つの巨大官庁が競うようにダムを造り続けることになる。やがて、妙なことも起きる。
西部の多くの川で灌漑目的で造られたダムが、付随的に洪水調節にも役立っている。だが、逆もまた真である。治水ダムによって、年間を通じて川の流れを安定させれば灌漑にも役立つ。そして工兵隊がダムを造り、それを治水ダムと呼べば、その水はただなのだ。(『砂漠のキャデラック』p.197)
ただの水で大儲けする灌漑農家も出てくることになる。しかし、このようなことはどんな法律を作ってもどこかで出てくる矛盾である。もっと本質的な問題は、やはり、ダムは予想を超えた洪水に対しては役に立たないばかりか、被害を増幅させることがわかってきたことである。
原著は一九八六年に刊行され、その後、情勢の変化に応じて加筆された改訂版が一九九三年に出版された。その一九九三年は、アメリカの河川政策が大きく変動した年であった。この年、ミシシッピ川流域で大規模な洪水が発生し、甚大な被害をもたらした。この洪水を分析した陸軍工兵隊は、ダム、堤防などの洪水調節用構造物は、予想を超えた洪水の際には役に立たないばかりか、洪水の被害を増大させることもあるいという結論に達した。工兵隊は、従来の構造物による洪水調節から、氾濫原の回復、避難プログラムの作成、氾濫原での土地利用の制限、洪水保険の奨励など、総合的な洪水対策へと転換せざるを得なくなった。(『砂漠のキャデラック』p.577)
水不足
貯水池ダムによる水開発が進んでも、ますます水不足になる。カリフォルニア州司法長官ブラウンの「(水が不足すると言うが、)ロサンゼルスはコロラド水道を造ったのでないのかね?」という問いに対して、カリフォルニア州の技官エドモンストンはつぎのように答えた。
そうです、とエドモンストンは答えた。「そしてそれがまさに問題なのです。高速道路の車線を増やしたり、新しい橋を造ったりすると、どこからも車が湧いて出て、また渋滞してしまいます。水にも同じことがいえます。水を開発すればするほど、さらなる成長が起こって、いっそう早く需要が伸びるのです。カリフォルニアは今や暴走機関車につながれているのです。州の人口と灌漑農業両方の伸び率からして、毎年新たに七五万エーカーフィート(約九億二五〇〇万トン)を開発していなければなりません。カリフォルニアは今何もしていません。大きな計画は何もありません。たとえ今日始めても、大規模事業が認可され、予算がつき、完成するまでに二〇年かかります。それまでに、カリフォルニアの人口はさらに七、八百万人増えているかもしれません」(『砂漠のキャデラック』p.388)
コストはいくらかかってもよい!
「いや、それ(コスト)には何ら正当性はないと思う。なぜなら水は必要だからだ。いくらかかろうと払わなければならないのだ。今日の石油のようなものだ。石油が必要なら、金を出さねばならん。石油の値段はいくらかね? 水はいくらかね? 水筒を持たずに砂漠を歩いているとしよう。見渡す限りどこにも水はない。すると誰かがやってきてこう言う。『水をスプーン二杯一〇ドルで買わないか?』。買うだろうな。カリフォルニアも同じことだ」(『砂漠のキャデラック』p.388)
カリフォルニア利水計画という巨大事業が計画された。
エドモンストンの計画は魅惑的なものだった。それまでに行われた州あるいは地方自治体による最大の利水事業は、第二次世界大戦中に完成したニューヨーク市のデラウェア水道設備だった。デラウェア導水路の長さ一三七キロで、完全に地下に埋設されていた。文句なしに世界最長の硬岩に掘られたトンネルだ。だが、カリフォルニア利水計画は、第一段階だけで、その四倍の量の水を六倍の距離を越えて移動させることをもくろんでいた。さらに驚いたことに、その水の大部分は灌漑に使用されるのだ。
デラウェア導水路のせいで、富と虚栄の都市ニューヨークは負債にどっぷり浸かるはめになった。しかし平均的な世帯では水一エーカフィートにつき一〇〇ドル前後を払っており、また市は費用を分担する巨大な商工業部門を擁しているため、市の成長曲線が何らかの理由で真下を向かない限り、公債をすべて払いきることができる。一九五〇年代半ば、灌漑農家が水に払えた最大の額は、多めに見積もった平均でも一エーカフィートあたり約一五ドル、ニューヨーク市民が払っていた額の五分の一以下であった。また、ニューヨークの水は自然流下で届いた。カリフォルニアの農家は垂直距離百数十メートルの汲み上げ費用を払わなければならない。さらにロサンゼルス市民は、導水路がテハチャピ山脈を貫くのでなく上を越えるのであれば、一〇〇〇メートルも汲み上げた水を買わなければならない。どうしてそのような水が買えるのだろうか?
答として通用しているものから、当時のエドモンストンと水ロビー、そして職務に忠実な多くの政治家が何を考えたいたかを見抜くことができる。それはまた、明らかに正気の人物の発言としては、まれに見る驚くべきものであった。「水のコストはカリフォルニアの水資源の究極的な開発において、制限因子とはならないと考えられる」とエドモンストンの報告書には書かれている。「都市地域は、水道用水の需要を満たすために、常に水のコストを払うことができ、また進んで払おうとすることが明らかになっている。その上、将来、農産物の需要が切迫して、灌漑農地の大幅な拡張のために必要な水は、いかなるコストが要求されようと供給されることになるだろうと考えられる……今日財政的に実行不可能な工事の多くが、将来予算を与えられ、行われるであろうことは疑いない」
もし誰かが、このような発言は馬鹿げていると気づけば――それは実際、人口問題が切迫しているので、我々は火星に移住するだろうというようなものだ――(強調引用者)(『砂漠のキャデラック』p.386)
筆者は言う。「ダムを造って水を開発し、補助金付きの安価な水を供給する。ただ同然で水が手にはいるから、農家はどんどん、牧草のアルファルファを育て牛を育てる。そうするとまた、水が不足するのでダムが必要となる。カリフォルニアが水不足になるのは牛が多すぎるから、ただそれだけのことだ」と。バイソン(野牛)ならば、乾燥に強く、灌漑などする必要はないし、あるいはまた、降雨の多い東部の州で育った牛を輸入するばよいのではないか?とも問いかける。
乾燥地帯や半乾燥地帯で、アルファルファや牧草のような価値が低く水を大量消費する作物を灌漑できるのは、水が安く手に入る場合、つまり農地が川岸にあるか、ダムや導水路が何十年も前に作られているか、極西部で常時灌漑を行っている農家の三分の一のように、水に税金から補助をつけてもらっている場合だけだ。カリフォルニアやコロラドのようなところで牛を二ドル分育てるだけの牧草や灌漑するのに二〇トン前後の水がいるとする。もし水二〇トンの価格が(カリフォルニア利水事業から買った時のように)七ドルとか八ドルであれば、そんなことは考えられもしないだろう。だが、政府が同じ量の水を三〇セントか四〇セントで売ってくれれば、文句なしに引きあう――セントラル・バレー事業を水源とした時のように。
もし市場メカニズム――西部の農家の多くはこれを表向きには賞賛し、内心嫌悪している――が実際に働くことを許されれば、西部の水「不足」の正体は明らかになるだろう。それは飽くことを知らない需要が、無料に近い財を追い求める時に予想される種類のものだ(ポルシェが一台三〇〇〇ドルで売っていたら、やはりポルシェ不足が起きるだろう)。カリフォルニアが水不足になるのは牛が多すぎるから、ただそれだけのことだ。
西部都市部はなかなかこれを完全には認識しなかったが、最近になって強く意識し始めている。都市圏水利地区は、数百万の顧客に大量のチラシを送り、一〇〇〇エーカーフィートの水をハイテク産業に使えば一万六〇〇〇人分の雇用が創出され、同じ一〇〇〇エーカーフィートを牧草地に使うと八人分の雇用しか生まれない理由を説明している。八人分である。………(『砂漠のキャデラック』p.574)
公共事業
公共事業は一旦、予算が確保され、毎年、継続的に事業が行われるようになると、いずこも同じように、公金を使うことに熱心な官界、政界、財界のグループ(タックスイーター)が育ってくる。
無意味な事業の最終的な責任は「地元関係者」、つまり無目的ダムに税金を浪費することに全くやましさを感じない建設業者や灌漑農家、そして地元第一の商工会議所的な連中に帰せられるべきであった。(p.228)
そして、国民は巨額の予算を執行する官庁をコントロールできなくなり、暴走する。
名目的には開墾局は内務省の一部である。総裁は、理論上は、内務長官と大統領に直接責任を負い、ホワイトハウスを占めるいかなる政権――自分を任命した政権であろうとあるまいと――の意志をも実行に移すのだ。現実には、開墾局を何年かにわたって観察すれば誰でも気づくことだが、そのようにはなっていない。開墾局は議会の手先であり、ほとんどの大統領は天気や報道機関同様、局をコントロールできなかった。
ホワイトハウスと議会に対する開墾局の役割は、子煩悩で移り気な両親に里子に出された子供にたとえられよう。子供は嘘をつき、癇癪を起こし、家を壊し、冷蔵庫の中のものをみんな食べてしまう。だが、とうとう里親が子供を折檻しようとすると、突然どこからともなく実の親が現れて、鞭をひったくってしまう。ジミー・カーターが大統領としての勢力、さらには再選のチャンスを失ったのは、不幸にも開墾局と工兵隊を支配下に置こうと努力したからであった。アイゼンハワー、ジョンソン、ニクソン、フォード、みんな開墾局と工兵隊がやろうとしていた数多くの事業を廃止し、あるいは遅らせようとして、ほとんどすべて失敗に終わった。議会は事業を一括公共事業法案に放り込むだけだった。そうすると大統領は、役立たずのダム計画を排除しようと思ったら、重要な治水事業から魚の孵化場、雇用プログラムに至るあらゆるものに拒否権を発動しなければならなかった。
……こと公共事業に関しては、一九五〇年代には、ホワイトハウスではなく議会が政府を動かすようになっていた。わが国は権力と安定した地位を持つ者たちの金権国家となったのだ。(『砂漠のキャデラック』p.253-4)
技術の盲信
貯水池ダムの事業により開発された水が利用されて巨額の富が生まれ、つぎつぎと成果が積み重ねられると、ダム神話が生まれる。ダム技術の盲信も生まれる。地質が悪く、とても貯水池を造ることが無理なところでも、漏水防止のためのグラウティングなどの技術がすべてを解決してくれる、解決できない問題はないと信じられるようになる。そして、想像もつかないようなことが起きる。1975年、悲劇は起こった。アイダホ州のティートン川に造られたティートン・ダムは築造されてまもなく、貯水を始めたが満水になることなく崩壊したのである。そして、「最後の氷河期以来北米で二番目に大きな洪水がティートン川峡谷を流れていった」。
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このティートン川の洪水では一一人が死亡した。しかし、午前二時にダムが決壊してもおかしくはなかったのだ。その場合死者の数は数千人にのぼったことだろう。………四〇〇〇の家屋が被害を受け、あるいは破壊された。三五〇の事業所が失われた。被害額は二〇億ドルにのぼると試算されるが、和解額はそれに相当足りなかった。だが、何よりも目を見張るのは洪水が土地に与えた被害だった。十数万ヘクタールの土地から表土が失われた。幅二キロ半の鋤で地面を基盤まで削ったかのように、表土が剥ぎ取られたのだ。ある試算によれば、ダムによって灌漑されるはずだった土地よりも多くが破壊された――永久に。二度と何かを栽培することはできなくなった。
それは悲劇に続いて起こった、長い皮肉な出来事の始まりにすぎなかった。結局のところ、レックスバーグ段丘の農家――裕福な灌漑農家で主にその利益のためにティートン・ダムが建設された――は完全に難を逃れた。川沿いの低地の農民は、洪水で生活の手段を失い、地方、州、果ては国中探し回って、和解金で買えるそこそこの農地をみつけなければならなくなった。しかしレックスバーグ段丘の農家はのんびり構えていられた。彼らはもはやダムの水を受け取ることはなくなったが、それで困ることはなさそうなのだ。「段丘上には数多くの井戸が掘られている」、農業委員のビル・ケロッグはこう説明し、ダム反対派が初めからずっと言い続けていたことを認めた。「ダムは補充用の水を意図したものにすぎない」。この補充用の水とやら――三日前までは死活問題だった――は突然、なくてもすむものになった。ダム反対派もそれを主張していたのだ。しかしたとえ段丘の上の灌漑農家が水不足で破産することがあったとしても、彼らはほんの少数にすぎない。丘の下の氾濫原には何千という被害者がいた。(『砂漠のキャデラック』p.454)
どうしてこのような悲劇は起こったのか。有能な開墾局の技術者集団は、崩壊の危険性があることを知ることができなかったのだろうか。
安全性の問題は一度俎上にのぼった。その時シエラ・クラブ弁護基金の弁護士トニー・ラッケルは、ダムは開墾局が認めている以上の漏水を起こすかもしれないということについて、ある証拠を提出しようとしたが果たせなかった。テイラー判事はすでに答を用意していた。明らかに自分でもおかしいと思いながら、テイラーはラッケルに言った。「実際にダムが水を保持できないとすれば、魚類や野生生物は被害を受けないではないか」。そして無関係であるとの理由でラッケルの証拠を却下した。
ラッケルはシャーリー・ピトラックを証人として申請しようとしたのだ。ピトラックは地質学の専門家で、一九七三年夏の短い期間ティートン事業に関わり、予定地に実験孔を掘り、その中に水を注入するという仕事をしていた。考え方としては、どのくらいの速さで割れ目や破砕があり、それに付随してどのくらい漏水を起こしやすいかを測定――「推定」といった方がいい――できるというものだ。ピトラックによれば、数週間にわたり毎分三〇〇ガロン(約一・一四立方メートル)の割合で試水孔に水が注入された。これは消防ホースを穴に突っ込んで全開で放水するようなものだ。だが孔が満たされることはなかった。ピトラックは上司に尋ねた。実験孔がこれだけの割合で漏水しているとすると、どれほどの水が貯水池から浸透してダムを迂回しようとするでしょうね。
実は、これは何も驚くようなことではなかった。その三年前、開墾局は同じような試水計画を実施した。そして三つの深い孔、三〇一号、三〇二号、三〇三号が著しく水を吸い込むことがわかった。毎分四四〇ガロンもの水を注入しても、すべていっこうに満水になろうとはしなかった。三つの孔はどれも峡谷の右岸壁に掘られていた。三〇三号はダムの堤防となる部分から七五メートルしか離れていなかった。開墾局の地域担当の地質学者で試水計画を監督していたクリフォード・オークソンはこのように上司に報告した。「一九七〇年にティートン・ダム右側壁に完成した三本の深い試水孔は、以前の掘削で遭遇したものよりもはるかに水が透過する亀裂に当たった」。この結果オークソンは、ある程度の貯水池の漏水は避けられないという結論に達した。「おそらく貯水池の水のいくらかはダム両端を回って漏れ出し、岩盤中の亀裂を通って、ダム下流の低い位置にある岩盤表面の亀裂から流れ出すだろう。水は圧力がかかっており、徐々に厚い表土を濡らし、泥海あるいは湿地状にするであろう。泥海状態は、一つでも亀裂のグラウト仕上げが不完全であれば、ダムの不透水性の部分でもところどころ起こりうる」(強調引用者)
オークソンはそのように言うのを嫌がっていたが――一部の技術者は「重大」などという形容詞を使うことは是認されない情緒主義であると考えている――ダム内部の泥海状態は、ダムが失われることも考えられる重大な出来事である。それを防ぐ鍵となるのは適切なグラウティングである。
グラウティングはダム建設技術の中で広く用いられているもので、液状のコンクリートを、ダムの片側あるいは両側の側壁に開けた孔に、高圧で注入することを意味する。コンクリートは水のように動いて割れ目、剪断帯、穴をすべて充填し、それから硬化して、漏水を防ぐ不透水性の隔壁を形成するとされている。ティートン………不適切なグラウティングが行われうる条件が三つある。技術者が未熟か、あるいは無能な場合、岩が絶望的に破砕されていて、完璧に近いグラウティング作業が不可能な場合、あるいは岩壁が予想をはるかに超えてグラウトをのみ込むことに技術者が驚き、適当なところで作業完了を宣言して止めてしまう場合である。(『砂漠のキャデラック』P.440-1)
ダムは一九七五年一〇月三日、ほぼ完成し、川の流れは初めてせき止められた。最大の空洞は埋められぬままであったが、それでも一万四二五〇立方メートルのグラウトを要した。局が必要だと言っていた量の二倍以上である。………一九七六年三月三日、……湛水の許可を正式に求める………六月三日、早朝、ダム下流約五〇〇メートルのところで岩壁から小さく水が漏れだしているのを発見した。………六月五日、朝七時、泥水が小さな川になって渦巻きながらダム直下の右側壁から漏れているのだ。
一一時五五分、堤頂が刀で叩き斬られたように貯水池に落ちた。二分後、観光客が無言でカメラを回す前で、最後の氷河期以来北米で二番目に大きな洪水がティートン川峡谷を流れていった。(『砂漠のキャデラック』p.449)
ダム神話の崩壊
貯水池ダムの最大の弱点は、堆砂である。世界屈指の水の権威であるカズマンは言う。「ダムは消耗資産だ」「埋まってしまったら、それでおしまいだ」。大量の堆砂を取り除くことは、技術的にも経済的にも不可能だと説明する。
今日の乾燥地開墾事業のように、容赦のない破壊的要素を持つものはなかった。驚くべきことに、このような救済事業の寿命は実に短いものになりそうなのだ。……・・この堆砂による緩慢な窒息死は中でも一番やっかいなものである。それには永久的な治療法がないのだ。(p.524)
その息をのむ巨大さとは裏腹に、ダムは奇妙にも脆弱な代物である。その脆さは、ダムに頼る数多くの人々の間で共有され、大きく増幅される。ダムを建設する技術者は、それが地震、地滑り、洪水に対して安全であるように徹底してきた。しかし、最大の脆弱性は、バーキーが書いているように、土砂に対するものである。あらゆるダムはやがて土砂に埋まる――問題はいつかと言うことだけだ。多くが森林に覆われた硬岩の地形、例えば、シエラ・ネバダやキャッツキル山脈では、ダムは一〇〇〇年の有効寿命を持つかもしれない。人口過剰で、森林が消滅しかけており、農地は山の上へ拡大していき、したがって川には高い濃度で土砂が含まれているような国では、第二次世界大戦後に建設された貯水池が、今世紀の終わる前に泥の塊になっているだろう。極端な例が、中国の三門峡ダムで、一九六〇年に完成し、一九六四年には早くも廃止されてしまう。完全に土砂に埋まってしまったのだ。世界第六位の高さを誇るインドのテーリ・ダムでは、最近有効寿命の予測が一〇〇年から三〇年に縮められた。ヒマラヤ山麓の丘陵地帯で、ひどい森林破壊が起きたためだ。 (『砂漠のキャデラック』p.525)
「ダムは消耗資産だ」と言うのはラファエル・カズマン、退職したルイジアナ州立大学の水文学教授で、世界屈指の水の権威である。「埋まってしまったら、それでおしまいだ」。何とかして泥を取り除けないものだろうか?「できるとも」とカズマンは言う。「だが、その泥をどこに持っていくのか根? 海まで運んでやらなければ、また流されて元に戻ってしまうよ。どうしたって除去費用は法外なものになる。だから私にはそんなことが行われるとは想像もできない。コロラド川の年間土砂生産量を運び出すのに、貨物列車が何本いるかおわかりか? どうやってそれを峡谷から外に出すのかね? ダムの直近の土砂を押し流せるようにダムを設計することはできる。だがそれで取り除けるのはごくわずかな部分だけだ。広大な泥の高原に小さくて短い谷間を作るようなものだ。大部分は何をしようとびくともしない」
ダムの土砂を取り除いた何らかの経験を持つところは、ロサンゼルスだけだ。ロサンゼルスは盆地の周囲に砂防ダムを多数築いており、その容量を失うわけにいかないものである。一九六七年から七七年の間に、都市圏水利地区と水道電力部は一八一〇万立方メートルの土砂をそのようなダムから取り除いた。その費用は二九一〇万ドルであった。その調子なら、ミード湖に三〇年にわたって堆積した土砂を除去するには、現在の金で一五億ドル以上かかることになる――もっとも、それを持って行く先が見つかればだが。(『砂漠のキャデラック』p.527-8)
この問題の重要性を認識していると思われるもう一人の水文学者、ルナ・レオポルトドは言う。「普通の政治家が持っている時間の感覚の限界はだいたい四年だ。政府機関は議会に同調しているので、感覚はほぼ同じだ。まだ誰もこのことについて考えようともしない。しかし、この国では何千という大規模ダムが非常に短い期間――一九一五年から一九七五年の間――に建設されたということは心に留めておくべきだ。多くのダムが同時に土砂に埋まろうとしているのだ。東部にはすでに泥で満杯になっている小さな貯水池がいくつかある。これらは小さな扱いやすい貯水池であり、西部で造られたような大峡谷の貯水池からはほど遠い。しかしそのような貯水池でも何かがなされたという話は聞いたことがない」
現在ダムに堆積している土砂は、かっては河口付近で沈殿していた。ミシシッピア=チャファラヤ・デルタはニュージャージー州よりも大きく、すべて西部と中西部から流れてくる土砂でできている。以前は毎年流れ着いていた沈殿物の約半分がもはや来なくなっている。ラファエル・カズマンは、半生をこのデルタの研究に注ぎ、たぶんこの世の先二、三十年で消滅してしまうだろうと確信している。いや、相当部分がすでに消えているのだ。カズマンはまた、ミシシッピ川は流路を変えて――おそらく二〇〇〇年までに――アチャファラヤ盆地に注ぎ込むようになり、何キロにもおよぶ州間幹線道路と何本もの国内最大のガスパイプラインが壊滅するだろうと考えている。
「ミシシッピ川は徹底的に締めつけられ、土砂を奪われている」とカズマンは言う。「それは以前よりもずっと研磨力の強い川になっている。屈曲部のどこかを浸食して全く新しい流路を求めるのは時間の問題にすぎない」。また、カズマンは、そのようなことが起きれば、経済的な意味で、平時の災害としてはアメリカ史上最大のものになりかねないと信じている。ただ一つそれをしのぐものは、ダムが土砂に埋まることだ。
カズマンは言う。「官僚の答はいつも、科学と技術の進歩はものすごく速くなっているのだから、何か解決策が出てきますよ、というものだ。連中の考えていることはわからない。核融合エネルギーでダムから土砂を汲み出すことができるようになるとでもいうのか?私の考えつく答えは、ダムを高くするか新しいものを造ることだけだ。今現在、私には、そうすることが経済的に採算の合う場所はほとんど思いつかない。たとえそれが可能だとしても」(『砂漠のキャデラック』p.528)
リーダー(カーターとレーガン)
行政の転換点には、強力な政治リーダーが必要である。カーターがいて、レーガンがいた。
カーターのダムに対する疑念は、形而上学と、頑固さと、軍人としての誇りに根ざしていたようである。陸軍工兵隊がジョージア州内の比較的大きな川、フリント川に一億三三〇〇万ドルをかけてスピューレル、ブラフス・ダムを建設すると発表した時、実業家として、州議会議員として、またフリント川中流域企画開発審議会議長として、カーターは当初大いに乗り気であった。
しかし、カーターの個人的な友人の中に州の環境団体に所属している者が何人かおり、知事選挙に出馬していたのとほぼ同じ頃、カーターは彼らからカヌーとラフティングの手ほどきを受けた。カーターはさっそくこのスポーツにはまってしまった。政治的な都合――州の財界や労働団体は一様にこのダムに惚れ込んでいた――と親しい友人の訴え、また自分自身の価値観の変化に板ばさみとなったカーターは、ただ事実だけに基づいて結論を下すことにした。彼は工兵隊の総合計画と環境影響評価書を一部取り寄せ、部屋に閉じこもると、やがて失脚の一因となる細部への執着を例のごとく発揮して、資料を隅から隅まで熟読した。その主張を何人もの専門家と照合確認し、自分で計算をし、工兵隊の水文学を採点した(カーターは機関兵(エンジニア)としてアナポリス(海軍兵学校)を卒業していた)。
最終的にカーターは、工兵隊に「計算上のごまかし」と環境を無視していることを激しく非難する一八ページにわたる手紙を書いた。次に彼は知事としての裁量を行使し、ダムに拒否権を発動した。友人たちによれは、ダムを正当化するために工兵隊がごまかしに頼ったことを、カーターはひどく怒っていたという。………
また、カーターはアメリカの政治家にしては珍しく歴史感覚を持っており、彼と親しい者たちによれば、我々が造ったダムを後の世代はどう思うだろうかと自問し始めたという。何の権利があって我々は、自分の一生の間に、世界中のほとんどすべての川をせき止めるのか。ダムが堆積物で埋まってしまったらいったいどうなるのか。安定し、巨大で、耐久性がありながら、奇妙なことにダムは脆弱でもある。もし気候が変わったら。容量が堆砂で大幅に減ってしまったダムが抑えられないような洪水が発生したら。大旱魃が起きて、その存在をダムに依存している農地や砂漠の都市が経済破綻に直面したら。さらに、すでに五万ものダムが造られていながら、投資に見合ったものを今我々は得ているだろうか。カーターが大統領になる頃には、連邦の負債は一兆ドルに届こうとしており、インフレ率はすでに二桁に達していた。しかし、連邦の利水官僚は、毎年五〇億ドルを今もって散財していた。カーターが連邦予算から最初に削ろうとしたものの一つがダムであった。(『砂漠のキャデラック』p.342-3)
カーターは議会の政治圧力に屈して貯水池ダム事業削減の改革に失敗した。代わってレーガンが大統領となり、当初は水資源開発に理解があると見られていたが、大幅な利水事業の削減に成功した。
多くの西部選出議員、また言うまでもなく、水ロビーと官僚は、ジミー・カーターのあとにロナルド・レーガンが大統領に選出された時、大喜びした。レーガンは、財政に関しては保守的なことを言っているようだが、水資源開発に反対しないであろうことは確かだった。なにしろレーガンは西部人であり、彼自身乾燥地域に牧場を所有していた。その内務長官、コロラド出身のジェームス・ワットは、環境派にとっての反キリストだった。その他の中心的な内政問題顧問も、ほとんど西部出身者だった。彼らすべてが、そしてレーガンも、確かに水資源開発の信奉者であるかのような口振りだった。
ところが、レーガンが就任してすぐ、予算局長のデイビット・ストックマンが、新規の水運事業のコストを、一〇〇パーセント受益者から回収すると言いだした。しかも投資コストだけでなく、運用コストもだ(一九八五年には、陸軍工兵隊は約一〇億ドルを、事業の運用と維持だけに使っている)。そしてまた洪水調節ダムのコストを、相当な割合で州に払わせるという話も出た。これはカーターも決して本気で提案しなかったことだ。ワットまでもが、州は開墾局の事業の費用を分担すべきだと言った――それも前金で。どのくらいの分担が政府の頭の中にあったかは正確にははっきりしない。だが、ワットは非公式に、三三パーセントが妥当な額だと示唆していた。それは新規の水資源開発を事実上すべて不可能にするため、水ロビーはどう対応したらいいのか全くわからなかった。
………
予想されたとおり、レーガンの初期の提案はゆっくりと議会によって削られていった。が、その一方、来る年も来る年も、新たな認可法案が議会を通過することはなかった。それには連邦政府が自分自身の重さに押しつぶされていたということもあるが、のみならずレーガンが、カーターのように、拒否権で脅しをかけていたからでもある。
一九八四年、公共事業法案にあった二〇〇億ドルの利水事業認可――三〇〇事業分――が、まるごとそのような脅しのために除外されてしまった。一年後、ほとんど同一の法案が上程されると、環境派は、ストックマンら政権内の財政保守派と密かに手を組み、一〇から三〇パーセントにおよぶ費用負担を――治水についてさえも――地元に求める修正条項と条件条項を忍び込ませることに成功した。この修正条項と条件条項が法案に含まれていれば、ごく一握りの事業しか行われることはないだろう。一つのダム建設に対して五〇〇〇万ドルを出さねばならないことを州が知れば、その熱狂も摘み取られた花のようにしぼみがちなものとなるだろう。(『砂漠のキャデラック』p.367-8)引用省略 本文 367-368ページ
レーガンは莫大な財政赤字をもたらしたが、無駄な予算はカットしていたのだ! 米国活性化の要因の一つは、無駄な公共事業をやめ、タックスイーターを排除したことであると断言するのは極端な言い方だろうか? (冷戦終結を受けた、軍事予算の大幅削減、インターネット技術をはじめとする軍事技術の民間への技術移転に加えて!)
結論
貯水池ダムは、人智を尽くした技術であり、自然をコントロールし、人類に大きな富をもたらしたかに見えたが、徒労に終わるだろう。
その著書『現代の水文学』の中で、ラファエル・カズマンは次のように述べている。
貯水池建設計画は、客観的に考えると実は、増える一方の公金を際限なく出費し続け、それによって地質学的な力の作用が、河川と水流の状況の中で、何とか比較的平衡な位置に到達しようとするのと闘う計画である。将来、現代水文学の領域の研究は、まず第一に、我々自身をこの不利な戦いから、国に極力損失を与えないように救い出す方法を見つけるために行われるかもしれない………・。ここで関わっている力とは………・・引き潮の時、砂浜で水際に城を作っている子供が出くわすものに似ている。………城の崩壊を予言するのは、悲観論ではなく、客観的な評価にすぎない………。(『砂漠のキャデラック』p.529)
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